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ヤマコーの「やってやるって!」アーカイブ


日刊スポーツ評論家 山口幸二


2015年12月12日 伊東温泉「開設65周年記念 椿賞争奪戦(GⅢ)」


さぁ、伊東温泉開設65周年記念にやってまいりました。

わたくしヤマコウも引退して早3年。
深谷知広や脇本雄太もいいですが、
そろそろ新しいスターを見たいところ…

と思っているところに最近現れたのは、
茨城の吉田拓矢に鈴木竜二。

吉田拓矢の活躍は、京王閣記念で記憶に新しいところですが、
今回、生の鈴木竜二を初めて見ました。

これがまたいい男で( *´艸`)
強くなったら、女性ファンにキャーキャー言われそうなルックスです。

それに触発されたかどうかは分かりませんが、
2期上の渡辺雄太も、
その直後のレースを1着で1次予選を突破。
優しい感じのルックスで、こちらもいい男でした。

そこで俄然ヤル気になったのが、
イケ面レーサーの先輩として、競輪界を引っ張ってきた柴崎淳。
「お前ら、まだまだヒヨコだ。俺の走りを見ておけ!」
と特選レースを走ったのはいいですが、
結果は、逃げる郡司浩平の4番手を取ったものの、
仕掛けきれずに、6番手の原田研太郎にまくられかぶって8着。

レース後は、さすがに落ち込んでいました。
そこで私が、
「あつし、今の気持ちは?」
と紙を差し出すと、ペンでスラスラと書きはじめました。

 

見るからに覇気のない表情です。
そして、そこに書かれていたのは心の叫びです。


「俺は何してるんや!!」


仕掛けきれなかった自分にご立腹の様子でした。笑


その隣りで、
1次予選をまくって1着で突破した上機嫌の一人の選手がいました。
優勝のシミュレーションをして、
エアガッツポーズをする濱ちゃん(愛媛・濱田浩司)です。

 

レースは違いますが、勝者がいて敗者がいる。
勝負の厳しさを改めて感じた初日の伊東温泉競輪場の検車場でした(^^)v


2015年12月6日 前橋「前橋ナイター競輪」


こんにちはm(__)m
ヤマコウです。

先日行われた京王閣記念、松坂英二の優勝で幕を閉じました。
そんな中、吉田拓矢がタイヤ差で準優勝。
一躍、全国区の選手になりました。

決勝は、後ろに徳島の堤洋が付きましたが、
地区的には関係ないので自由に走ってよかったと思います。

その理由の一つに、連日の走りでファンや選手たちに十分アピールできたことがあります。
吉田の走りのイメージ付けがすでに出来上がっていたこと。
ですから、あのメンバー構成だったら優勝を狙って良かったかなと。

脚力的には超一流の域にはいってないですが、
そこにいくための“運”を持っていると思います。

まず、平原康多や深谷知広が欠場してメンバーが手薄になったこと。
準決勝でも先行で残れるような番組だったこと。
そしてもう一つ、決勝に関東地区の重鎮が不在だったこと。

活躍できる土壌が整っていました。

これも、大事なことです。

これから、どう生かしていくか。
簡単な道のりではないですが、競輪界のためにも頑張って欲しいです。


そこからの佐世保記念。
ご存知、熊本の島田竜二です。
全国の競輪選手に愛されています。

 

このお腹は…。

バーっ、バーっ、バーっ♪

パ~パララ、パ~パララ、パ~パララ、パ~パララ♪

 

結果にコミットしたみたいです。

2次予選に駒を進めた島田竜二。
残り3日間のうち、1日は狙ってみたいですね~。


前文とは全く違う構成となってしまいました。笑


2015年11月30日 京王閣「ゴールドカップレース(GⅢ)」


E-shinbunをご覧のみなさんこんにちはm(__)m
ヤマコウです。

先日、東山動物園に話題のあの人を見に行って来ました。
そう、話題のあの人とは…

 

そう、イケメンゴリラでおなじみとなりました、シャバーニです。
凛々しい顔してますますね~。

それから京王閣記念競輪に参加しました。

前検日、まわりを見渡すと吉田敏洋を発見しました。
記念に一緒に写真をパチリ。

 

いい表情してますね~。

ん?
何となく見覚えがあるような…。
さっきのシャバーニじゃないですか( *´艸`)

シャバーニが自転車から降りたところです。

 

連勝で準決勝に進出しました。
今日は、試練の準決です。
シャバーニの3連勝に期待しましょう。

そして今回、新星𠮷田拓矢が参戦しています。
敏洋は言っておりました。
「今回、どっちが本物の吉田かはっきりさせてやる!」
鼻息荒かったです。笑

記念優勝の行方も気になりますが、真の吉田対決も楽しみにしたいと思います。


2015年11月21日 小倉「朝日新聞社杯競輪祭(GⅠ)」


こんにちはm(__)m
ヤマコウです。

さて、今日(11月21日)のメインは、ダイヤモンドレースです。

第6レース終了後に特別選手紹介がありました。
場内の特設ステージで行ったわけですが、
これが大盛況でございました。

司会者はレジェンドの中野浩一さん。

そりゃ、選手も緊張しますわな。
しかし、その中でもこの選手は大物です。

ド―――――――ン!

 

終始リラックスして、となりの平原康多にペチャクチャ×2。

小学校の時に、「落ち着きがない」と通知表に書かれたタイプだな(^’^)

平原も、あまり聞いてない様子でした。
彼の初日の走りは圧巻でした。
外をどかしてから、まくる。
これは、簡単に見えてなかなか難しい動作なんです。

コーナーは、体を沈めてスピードに乗せていくのですが、
外の選手に当たるということは、沈める行為とは真逆です。
そこからスピードを上げるわけですから、至難の技です。

全体的にリラックスムードでしたが、
この人は違いました。

金子貴志です。

 

目が据わっています。
ちょっと画像が荒いですが、望遠レンズで激写しました。笑
その後ろで、この方の目も据わっていました。

 

そう、新田祐大です。

しかし、その直後…

少し笑顔です。

これは、佐藤慎太郎がインタビューで中野さんの参議院出馬の話から、
沖縄問題まで語り出して、失笑の一場面です。

初日特選は、圧倒的に強かった新田でした。
少しは、リラックスできたのではないでしょうか。笑

競輪祭は誰が優勝するのか、グランプリ出場は誰が果たすのか、
目が離せません。


2015年10月1日 松戸「平安賞(GⅢ)」


こんにちはm(__)m
トムクルーズと、キャメロンディアスの「ナイト&デイ」を観ながら、
このコラムを書いているヤマコウです。

さぁ、向日町記念も決勝選手が出揃いました。
最終レース、稲垣裕之と村上義弘が決めてくれました。
地元京都勢の川村晃司や村上博幸らが、次々と脱落していく中、
相当なプレッシャーがあったと思います。

その緊張感の中で、あのレース。
やはり、GⅠのタイトルを獲る、獲らないのレベルの選手は
走りが違うと改めて思いました。

決勝も強敵新田祐大を相手にどう戦っていくのか楽しみです。

そして、記念初優出の選手もいます。

 

「E-shinbunサイトをご覧のみなさま初めまして、愛知県の吉田健市、87期です!」

固いわっ!
と思わずツッコミを入れてしまいたくなるほどの写真です。

吉田敏洋の先行に乗って、最強の吉田は健市に軍配があがりました。
「まぁ、次頑張りたまえ。ハッ( ̄∇ ̄;)ハッハッハ」
こううそぶくヨシケンの横で

 

ふてくされる敏洋でした。笑

しかし、男気溢れる先行は光ってました。


というこ芝居があって、明日が決勝です。

おっと、その前に

「ケイリンエボリューション」
があります。

これは、国際基準で走る新しい試みの「ケイリン競走」です。

そこで今回登場いただくのが…

 

あれ?
見覚えのある顔ですねぇ。

もしかして、このクチビル…



 

「安心してください。早坂秀悟です!」

よかった~、安心しました。
早坂が違う世界に行ってしまったと心配してしまいました。

この「ケイリンエボリューション」、
ナショナルチームに所属している選手が圧倒的に有利です。

明日は、早坂クンの独壇場となるでしょうか。
決勝とダブルで楽しみです(^^)v


2015年9月19日 松戸「第58回オールスター競輪(GⅠ)」②


こんにちはm(__)m
ヤマコウです。

オールスター競輪絶賛開催中ですが、
総勢135名参加のこの大会は、
お休みの日もある選手がいるんですね~。

例えばこの方。

 

どこまでいっても優雅で、リラックスしています。
紅茶を手にしていても全く違和感のない笑顔。
まさしく王子です。

マッサージでレースの疲れを取ってます。

そして、その隣りで悶絶の表情を浮かべるこの方が…。

 

「おーーーーっ、お―――――――ッ!」
と声を上げながら頸動脈を攻められています。

それが、だんだんと苦悶の表情に…。

 

「痛い痛い痛い痛いっ!」
と、声が響き渡っていました。

あくまでも泥臭く、ベテランの後閑信一でした。

そして、他の場所に目を移すと…

 

ん~、みなさんリラックスしています。
浅井康太に阿竹智史、池田憲昭です。
ユニフォームの下に着る、プロテクターの相談みたいです。

すると…
現れました、あのお方が。

 

はい、ドーン!
頸動脈マッサージが終わったみたいです。
しかし、いつ見ても威嚇してますねぇ。

そして、マッサージの感想を聞くと、
「楽勝、楽勝、全く痛くなかったよ。」
と涼しい顔。

うそつけっ!
どの顔が言うとんねん!

そして、マッサージの爪あとが頸動脈に残っていました。

 

血が滲んどるやないかいっ!

「夏草や、兵どもが夢のあと」by松尾芭蕉

こうやって、選手はいつも身体のケアにはいつも気を配っているのです(^^)v


2015年9月19日 松戸「第58回オールスター競輪(GⅠ)」①


こんにちはm(__)m
焼き肉を4日連ちゃん食べて、胃の調子がすこしおかしい
ヤマコウです。

さて、今日からオールスター競輪が松戸競輪場で始まります。

135名のトップ選手で検車場はごった返していました。
かなり賑わっていました。

その中でも、ひときわ目立ったのはこの選手…。
いや~、少し派手にし過ぎましたかねぇ
と言わんばかりのこの表情。

 

そう、脇本雄太ですねぇ。
チラッと片鱗が見えます。
髪の毛に注目してください。

 

クジャクか!
と言いたくなるような色使い。
オスのクジャクは、
メスの気を引くために羽を目いっぱい拡げてアピールするらしいです。

この色にするのに何分かかったと思います?
よ、4時間でっせ!笑
びっくりしましたわ。

さ、今回のオールスターで羽ばたくことができるか注目です。

後ろに偶然写っているには、フレームメーカーの社長さんです。
みなさん、MAKINOってご存知ですか?
武田豊樹とか村上義弘が乗る、競輪界では一流のフレームメーカーです。
ちなみに私も乗ってました(^^)v

ワッキーの頭皮とは対照的な奇跡の1枚です。笑

チームE-shinbunの一員でもあるワッキーの活躍に期待しましょう。


2015年9月10日 岐阜「長良川鵜飼カップ(GⅢ)」


みなさんこんにちはm(__)m
先日、青森記念競輪で新日本プロレスの絶対エース棚橋弘至と
スイーツレスラーとして、
今や全国区の人気ものとなった真壁刀義とのトークショーで、
またまたプロレスの虜になったヤマコウです。

 

この先を見つめているのは、IWGPヘビー級王座です。笑

岐阜記念の伝統というべき台風18号の上陸も、
前検日に東海地方に直撃という、危機一髪で順延とならずに済みました。
2011年に浅井康太が優勝したオールスター競輪は、台風で1日順延しましたけどね(^-^)

今回、東のエース武田豊樹が登場。
函館競輪場で行われた、
サマーナイトフェスティバル(SNF)の落車が気になるところでしたが、
日にち薬で、全く問題なくなったとのこと。
活躍が期待されます。

期待されるといえば、
この選手も期待されてます。

 

森川大輔(岐阜92期)です。

私が初めて会ったのが、大垣競輪場で森川がデビューしてすぐだったと思います。
バンク練習を永井清史らとしにきたのですが、先輩である私に一向に挨拶がない。
しびれをきらし、
「おい、お前(森川のこと)全然挨拶ないけど、どこの誰や!」
と厳しく接しました。

やはりスポーツマンの基本は挨拶ですから。
何となく腑に落ちない顔をしていた森川ですが、とりあえず挨拶しました。
「92期の森川です。よろしくお願いしますm(__)m」
と。
まわりのザワザワした雰囲気は伝わってきてます。
「ん?なんだ」
と私も不思議に思っていると、
永井清史が近寄ってきて、

「幸二さん、森川挨拶するのこれでもう3回目です…」

な、なに~~~~~~~~~~~ぃ!

全く覚えてませんでした…。
ひどい先輩です。
病院に検査に行ったほうがいいのかと真剣に悩みましたわ(◞‸◟)

しかし、森川は私が引退間際にギヤで悩んでいた時、
弥彦の競輪場でず――――――ッと隣にいてくれました。
あいつ、いいやつなんです。

今回、決勝に乗ってさらに自信をつけてくれたら嬉しいですねぇ。

2015年8月26日 玉野「第3回週刊実話杯&第1回e-SHINBUN杯」


函館競輪場で行われたサマーナイトフェスティバル、
まさか、まさかの近藤龍徳の優勝で幕を閉じました。

 

これは、優勝直後のインタビューに応えるタツです。

前検日から、
「夜の出動回数は誰にも負けません。絶対優勝します!」
と言っていました。

「そうか、頑張れよ」
と声を掛けましたが、
「優勝は無理やろ~」
と言いながら話していました。

毎日、毎日
「テレビで取り上げて下さいよ」
と言ってましたから、
一応話題には出しましたがまさか優勝するとは…。

彼が1着を取ると、
お客さんの期待感が、こちらまで伝わってきます。
「どんなことを言ってくれるんだろう」
こんな感じでしょうか。

記念競輪の優出もまだなのに、GⅡを2回獲りました。
やはり持ってる男です。

ただ、私は不満があります。
みなさん、優勝インタビューを聞いたでしょうか?

「次の目標は?」
と聞かれたときに
「これから近藤龍徳に磨きをかけていきたい…」
と、こんなようなことを言ってました(ぼんやりとしか覚えてない…笑)。

そこはちゃうやろ~、
「まだ獲ったことないFⅠ優勝目指して頑張っていきたい」
だろが~。

きつくタツには説教しておきました。
今度の優勝インタビュー、どんなことを言ってくれるのか楽しみです。

 

あ、これはタツ違い。
坂上樹大でした。笑


2015年7月30日 四日市「泗水杯争奪戦(GⅢ)」


四日市記念が始まりました。

四日市といえば、わたくし思い出すのがA級初優勝です。
デビューして半年経ったあたりでしたが、
その当時は、競輪という競技が全く分からないまま優勝してしまった…
というのが、今ふり返るとそう思います。

そして2008、2009年と四日市記念を連覇しました。
2008年の決勝戦は一緒に走りましたが、
まだ初々しい青年でした。

こんな感じだったかな…
 

あ、間違えました。
これは岐阜の田中秀治(82期)でした。笑

しかし、額の傷が痛々しいです。
ブッチャーか秀治か、といった額の傷です。

何でも、自転車整備中になったのとのこと。
一日も早い回復を願っております。

って、何の話や!
淳の話でした。


当時の可愛い淳は、決勝戦に武田豊樹と神山雄一郎が乗っていました。
「何しても武田さんには勝てないので、先行しますわ」
と、例の軽~~~~~~~い感じでレース前私と話してました。

しかし、ふたを開けると武田を破って優勝。

4コーナーから、私も差せませんでした。
「あいつなら、どっから仕掛けても勝てるわ」
とタカをくくっていましたが、少しショックでしたね。
それから連続して地元記念優勝。

一流になるな~
と思っていたら、その場足踏みの状態が続いています。

しかし、最近顔が変わってきました。
場数をこなしてくると男の顔つきは変わってくるものです。
今日まで2着、1着。
最大の難関は準決勝です。
浅井とのワンツーを期待しています。


2015年7月27日 弥彦「報知新聞賞」


弥彦競輪といえば、先日「寬仁親王牌」が行われました。
連日、力強い走りが目に付いた脇本雄太でしたが、
優勝は、福岡の園田匠の優勝で幕を閉じました。

これは、寬仁親王牌前検日のワッキーです。


 
あっ、ちゃいますわ。
GⅠ初参加で居場所がなく、終始コンビで行動していた
三重県の伊藤裕貴と谷口遼平の両選手ですわ。

この気持ち分かります。
一流選手を前に、自分がどう振る舞っていいか分からない。
誰もが通る道です。
浅井康太も、初めて参加した時はこんな感じでした。

「おい、俺が誰か分かるか?」
私が浅井に聞きました。
すると緊張した面持ちで
「や、山口幸二さんですっ!」

いじわるな私は、
「そこは山口富生さんです!だろ~」。

今ではふてぶてしい、佐賀の荒井崇博も直立不動でトミちゃんに応えてました。
「佐賀の荒井崇博です。よ、よろしくお願いします!」

あの頃は、みんな可愛かったな~。

今回、弥彦競輪に参加している小野俊之にも聞いたことがあります。
可愛かったな~。

この人もそうでした。



そう、ワッキーです。

これも、寬仁親王牌の前検日に撮った写真です。
お茶目な笑顔です。
こんな笑顔から、あんな先行が出来るなんて信じられません。
メガネを掛けた頃の、あの純粋なワッキーはもう帰ってこないのか…。

今回、決勝は本命のプレッシャーの中でいい経験になったと思います。
インタビューでも
「今回は表彰台の真ん中に立ちたいと思います」
と力強いコメント。

ある意味、人気を背負って勝つというのはホントに難しいのです。
真の力がないと勝てない。

人気を背負って勝つ選手の偉大さを改めて思いました。


2015年7月17日 弥彦「寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント(GI)」


こんにちは、ヤマコウです。

さ、この選手の話題から入りましょう。
 
あ、選手じゃねーわ。
これは、前橋記念競輪で「ニコ生」から検車場の取材まで大活躍だった、
イー新聞の裏番、町田氏でしたわ。笑

少し、お疲れ気味の寬仁親王牌前検日でした。

襟足のキューピーのような感じが可愛いです。

さて、前橋記念では
わたくし、深谷知広とトークショーをしてまいりました。
 

これは、トークショー後の一コマ。
みんなで仲良く「コマネチ!」のポーズです。

向かって右側の、競輪キャスターの簑島綾乃さん、
えげつない顔になってます。

「子供がラーメン食べてるっしょ!」
そう、ドラマ「北の国」の田中邦衛さんになってます。笑

という感じで、前橋記念競輪は終了(ってどんな感じやねん!)。

17日から弥彦競輪場で寬仁親王牌が始まります。
その中から…。
 

引退した山田裕仁さん。
「どこでそのメガネ買ってきてん!」
と思わず叫びたくなるようないでたち。

メガネキング、早坂秀悟と夢のツーショットです。

しかし、早坂曰く…
「まだ、山田さんはメガネにかけられてますね」
と、奥の深いひと言。


こちらも夢のツーショットです(ただ髪型が似ているだけですけど…)。
手首骨折で欠場の平原康多の分まで頑張っていただきたいです。
こうして見ると、なかなか2人とも精悍な顔してますね~。

と、こんな感じで前検日は流れていきました(だから、どんな感じやねん!て)


2015年7月9日 前橋「三山王冠争奪戦(GⅢ)」


こんにちはm(__)m、ヤマコウです。

連日、竹内雄作が力走しています。

特に圧巻だったのは、2日目優秀戦。
あの浅井康太を引き離しての1着でした。
これは、大きな自信になったのではないでしょうか。

竹内は、トミちゃん(山口富生)にアマチュア時代から、
とても厳しく指導されてきました。
それは、竹内だけではなく、
他に2名弟子がいますが、全員厳しく指導されてきました。

まず、自転車から用意し、
竹内は愛知県の出身なので、食事の面倒も見てきました。
練習もよくさせられました。
陸上で芽が出なかった分、ハングリーさが他の2名とは違った気がします。

私は、一緒に走らずに引退しましたが、
あの先行は、登り坂をもがいているようだと、
愛知のローカルスター(山内卓也)が言ってました。

そこまで素質がありながら、精神的にちょっと小さいところが目に付きました。

以前、こんなことがありました。

ゴールドジムで、竹内はサプリメントを何にしようか迷っていたのですが、
それを、受付の女の子が見ていました、
商品を見たままジ―――――――ッと約30分。
「なげーわ!」
と、その女の子が言っていました。
そう、優柔不断なところがあるのです。
それが勝ち上がりで、本命を背負いながら負けることが多い要因の一つです。
今では
「負け戦の竹内」
と、
「負け戦の吉田」
と言われる、吉田敏洋からそう呼ばれています。

今回の勝ち方は、とても自信になったのではないでしょうか。
これで、一皮むけた竹内がG戦線を賑わしてくれることを楽しみにしています。


2015年6月29日 前橋「前橋ミッドナイト競輪」


今日から始まる「ミッドナイト競輪IN前橋」。
今回はFⅡ戦です。

メンバーを見ると、古原勝巳さんの名前が…。
こんな感じの方です。
 

私より2歳上で、今現在は大阪支部支部長。
普段はこんな優しい顔してますが、
バリバリのマーク選手で売り出していた時(20代前半くらいですかねぇ)、
それはそれは怖い方でした。

古原さんの言葉で有名な一句があります。
競りに来た選手に、レース後
「これからは、一生お前のところに競りに行ったる!
いや、二生行ったる!」
生まれ変わっても、その選手のところに競りに行くということです。

みなさん、これを聞いて笑っているかもしれませんが、
古原さんは本当に実行するんです。
二生行けるかどうかは分かりませんけど(笑)。


これくらい血気盛んなマーク選手でした。

私がデビューして、1年か2年経った頃、

古原さんの地元、岸和田競輪のA級開催準決勝でラインを組むことになりました。
まだ私が、先行で戦っていた時期です。
番手は、炎のファイター古原さんです。

確か、人気は私と二分していました。
あまりの気迫に、私もビビッて打鐘先行。
2人で最終4コーナーを回りました。
どう見ても2人でワンツーです。

そこで私も脚がいっぱいだったのでしょう。
ゴール前少し横に振りました。

すると私の右側のペダルに、古原さんの前輪が入りました。
その瞬間、
ガシャーーーーーーーーーーン!
と接触した音が…。

そして、古原さんはゴール直前で一回転、落車。
私が1着でした。

レース後、医務室に恐る恐る挨拶に行くと、
そこには、ナマハゲのような顔をした古原さんが…。
「すいませんでした…」
すると、全く顔を見ず「はい。」とひと言。
あの恐怖、忘れることができません。

その後、同期の渡辺泰夫に聞いたのですが、
「あの、山口幸二っていうのは許さん!
一生競りに行ったる」
と言っていたらしいです。

怖い怖い((+_+))

今の選手は、怖い古原さんを知らないのだろうなぁ
と思いながら、前橋競輪の出走表をながめていました。


2015年6月18日 岸和田「 高松宮記念杯競輪(GⅠ)」


高松宮記念杯競輪が始まった。


私は優勝したことがないので、
真っ先に思い出すのが、トミちゃん(山口富生)の初タイトルだ。


山田裕仁(引退)のまくりに乗って、
今では考えられないほどシャープな差し脚だった。

兄弟そろって、いい成績というのはあまりなかったが、
この時だけは、私も2,1,6,3着で準決勝がひじょうに悔やまれた。


優勝した瞬間
「富生、やったー!」
と言う気持ちと、
「はい、これで完全に幸二の弟から、富生の兄貴になりました…」
と言う思いが交錯していたのを思い出す。


それでも兄弟タイトルホルダーといえば、
当時ドリーとテリ―の「ザ・ファンクス」くらいで、
とても名誉なことだと思った。


「競輪界のラオウ」
と言われるトミちゃんだが、私の姿を見ると泣き出した。

「鬼の目にも涙」
とはこのことだ。


幼い頃から、
競輪カレンダーの山口国男さんと山口健治さんの
パンチパーマ2ショットを指差して
「お前らもこんな兄弟になるんだぞ!」
と父親から言われて育ってきたので、
初めて親孝行をしたなぁ…と感じた瞬間でもあった。


そういえば、親父もその当時はパンチパーマだった。


そして迎えた表彰式。

私はカートに乗ってトミちゃんを送り出した。


お客さんはヤンヤの大声援。

主役はトミちゃんのつもりだったが、
中澤央治選手(今回、誘導員として辛うじて参加)から
「お前は猪木か!おいしいとこ全部持っていきやがって!」
と叱られた。


引退を決めたのも、
2011年の高松宮記念杯。

深谷知広のかましに離れて、体力の限界を感じた。


たくさんの思い出が、この大会には詰っている。


あ、
内林さんもこの大会で引退したなぁ。

たくさんの思い出の、片隅に思い出しましたわ。笑


2015年6月6日 取手「水戸黄門賞(GIII)」


こんにちは、ヤマコウです。
 

昨年は、前橋記念競輪はお休みで、
「オールスター競輪」が開催されました。
優勝は武田豊樹。
 
打鐘で先行態勢に入った井上昌己を、
叩きに行った結果3番手に入りました。
そこからまくってV。
 
私は、普段のレースの積み重ねがもの申した優勝だったと思います。
 
そこで、今回地元を走る天田裕輝。
「武田さんはいつものレースをして優勝した。ぼくはいつものレースをして獲れなかった」
この言葉の意味は深いと思います。
 
レースを振り返ると、決して天田のレースは失敗ではなかった。
むしろ、しっかりと昌己の3番手が取れれば面白かった。
なぜ、そこで3番手をしっかり確保できなかったか。
言葉は悪いが、武田はGⅠでのいつものレース。
対して天田は、GⅢ、FⅠでのいつものレースだったということです。
 
あれから1年、天田や木暮安由は関東の偉大な先輩たちにもまれてきました。
 
今回、勝ち方にもこだわって地元記念で結果を出す。
これができるようになれば、GⅠタイトルも見えてくると思います。


2015年4月23日 弥彦「 日刊スポーツ賞」


みなさんこんにちは、ヤマコウですm(__)m

川崎記念が始まりました。
初日、深谷知広の3番手からのまくりは素晴らしいスピードだったと思います。

先日、四日市FⅠ戦でトークショーをしましたが、
「そろそろ結果が出てくると思います」
と、めずらしく強気なコメントを出しておりました。

さ、もう一人気になる選手がいます。
この方です。

私のことは気にしないで下さい(笑)。

左側は稲川翔です。
昨年の高知競輪場での「坂本龍馬杯」での一コマ。
龍馬杯だけに、坂本龍馬に扮していただきました。

これは、昨年秋の写真ですが、
この後2度の鎖骨骨折を経験することになります。
「何で俺だけ…」
療養中は、そういう気持ちになっていたと思います。

しかし、これは稲翔だけではなく、
どの選手も通る道。
ここで諦めたら終わりなんです。
そう、ここからが勝負!

そして、この川崎記念から再スタートとなります。

初日は、絶好の展開から3着と体調的には
まだまだといった感じです。

またいつか笑える日が来るのを期待したいと思います。

以上、稲翔とコスプレシリーズでお送りしました(^^)v


ヤマコウカップ



第1回ヤマコウカップが始まります(2月25日~27日)。
何か、自分の冠レースと言われてもピンときませんねぇ。
他人事みたいな感じ…。

ここまでくるのに、
たくさんの皆さんに手伝っていただきました。
この場を借りてお礼申しあげますm(__)m

まずは前検日。
SS班の村上始め、たくさんの強豪選手が参加してくれました。
ありがたいことです。

まずは記念撮影。



村上「なんですか、ツーショットって!もう死んでいくんですか?」
ヤマコウ「あほ! まだ生きるわ!」
とのやり取りがあり~の、




トミちゃんとの2ショットがあり~の…




小野俊之です。
身体でかいなぁ。

何回競り負けたか…(笑)。

最後に、いっちゃん(市田佳寿浩)が元気に参加してくれました。



何度も心が折れそうなるけど、
兄貴(村上義弘)が尻を叩いてくれるらしいです。

こうやって、兄貴と同じ参加するのは、
「けがをしたいわき平記念以来(2013年2月)」と言って、
夜の宿舎生活を楽しみにしてました。

あ、伏見撮り忘れたなぁ。
ま、いっか(笑)。

ということで、皆さん3日間お願いします?



四日市記念




今日は、四日市記念2日目。
 
初日特選、武田豊樹は驚異的な強さでしたねぇ。
あれは凄い…。
 
神山拓弥も内に詰まって焦ったでしょう。
後ろに武田を付けて
「内に詰まって負けました。すいません。」
では、終わらないですからねぇ。
 
さ、今回取り上げるのはこの方。



桐山敬太郎はんです。
 
めずらしく今日は厚着ですね~。
 
しかし、ここには映ってないですけど、
下は半パンですからね。
 
TMレボリューションの西川クンか、競輪界の敬太郎か…
というくらい、半パン姿が多いです。
 
しかも、真冬でも半袖半パンですから。
「お前、今その格好で夏になったら、全裸ですごさないとあかんやんけ!」
と言ったら、
さすがに全裸はないですけど、タンクトップにはなるらしいです。
 
この、真冬の薄着にも結構深い訳があるんです。
 
その意味とは…
 
人間というのは、環境にあった進化をするらしいです。
ですから、冬に薄着を続けると血流が良くなって、代謝がよくなるらしいです。
 
ということは、真冬のレースでも、変わらないパフォーマンスが出せる!
ってことらしいです。
 
「ホントか?」
と敬太郎の足を触ったら、半パンなのにポカポカしてました(笑)。
 
初のGⅠ決勝をまくって決めるあたり、
今年はブレイクの予感がします。



読売新聞社杯全日本選抜競輪(GⅠ)

みなさんこんにちは。
ヤマコウです(^_^)v

前検日、検車場の片隅で、
タオルをお互いひきあって鍛え合う2人が…。



科学的トレーニング全盛の中、
えらい原始的なトレーニングですわ。

若き日の、アントニオ猪木と星野勘太郎じゃありませんよ。
れっきとした競輪選手。

山内卓也と吉田敏洋です。

この2人、中部地区版ドリーファンク、テリーファンクと呼ばれてます。
ま、ロートルタッグチームという意味ですけどね(笑)。


この2人、タッグを組んだ時のワンツー率って異常に高いんです。

地元の名古屋では、絶大な人気を誇ってます。
全国的にみたらどーかよく分かりませんけど。

そして、もう一人全国区に浮上してきた選手がいます。



競輪界の海老蔵こと、天田裕輝です。

多分、町ですれ違っても、
私は声を掛けることはできないですね~。

奈良記念を4連勝。

そして、今回の全日本選抜でも武田豊樹の前で、
先行はできませんでしたけど、必死で主導権を取ろうという意欲は伝わってきました。
武田―平原康多の間に入ることができるかどうか、
これからの走りにかかってくると思います。

それくらいの意欲がないと、タイトルは獲れないと思います。

武田、平原と走る時の彼の戦法にも注目しています。




いわき金杯争奪戦(GⅢ)

いわき平記念が始まりました。
 
昨日は、寒くて雨で走る選手は大変だったと思います。
こんな時に、一番
「選手を辞めてよかったなぁ」
と思う瞬間です。
 
この寒い中、神山雄一郎の後ろから鋭く伸びて1着になった選手がいます。
 
はい、この方。


ん?
誰だ?
 
黒い衣装で身を包み、この怪しげな雰囲気…
 
かつて、どこかで見たような…



あ、この人だ!
 
泣く子も黙る後閑信一!
 
忍者になったらしいです(笑)。
 
しばらく後閑特集でもやろうかなぁ。
 
今回、初日を見て好調と感じた選手は、
 
野田源一    …郎。
新田祐大、
佐藤龍二、
 
武田豊樹は、やはり役者が違うと感じました。
 
さて、誰が優勝するのか…。




和歌山グランプリ(GⅢ)

立川記念が終わって、
少しくつろいでいると、我が弟の富ちゃんからこんなメールが。。。

『明けましておめでとうござあおます』
と。



ん?
これは電撃ネットワークのリーダーか?
よーく、見ると。。。

俺やがな!

すると、すかさず次のメールが。
『兄貴はオネエになったんですか?』



ちゃうわ!
お前がしてるだけやろ!

と、やり取りが新年の兄弟の絡みですわ。


今年のトミちゃんの活躍をお祈りしてます(`ー´ゞ-☆




eー新聞カップ・日刊スポーツ杯

こんにちは、ヤマコウです。

立川記念、後閑信一惜しかったですねぇ。。。。
しかし、夏に鎖骨、肋骨、肺挫傷を乗り越えてのあの動き、
とても、44歳のベテランとは思えません。
日頃の鍛練の成果だな。
フムフム。

昨年、
後閑が広島競輪場の前で職質にあったのは記憶に新しいですが、佐世保記念の帰りにも事件は起こりました。

ありゃ?
マスクを被った怪しい男が、
電車の中で一心不乱に携帯をいじくってる。。。



恐いわぁ。。。
不幸のメールでも送ってるんやろか?
それとも、誰かに追い込み掛けてんのか?

ま、いいや。。。
と佐世保バーガーを頬張ってました。

すると、
『いい匂いさせてんじゃねーか!』
と、輩口調で前の席のお方が。

『俺の分はねぇーのか?』
とむちゃくちゃなことを。。。(>_<)

前の席から振り向いたのは。。。



後閑やんけ!

そりゃ、あんたメチャクチャやわぁ。
普通、関東勢は飛行機でしょ?

と聞くと
『飛行機恐いんだよねぇ』
と、オネエのような声で答えました。

そのあとに、立川でのあの激しいレース。
今年の後閑も、オネエパワーでやってくれると思います(^-^)ゝ゛




KEIRINグランプリ2014(GP)

こんにちは、ヤマコウです。
とうとうグランプリへのカウントダウンが始まりました。

このお方も、一生懸命お仕事しておりました。
 


ご存知、E-SHINBUNの裏番長、町田さんです。

そんなことは、どーでもいい?
分かりました。

じゃ、これならどうだ!

 

本田圭佑さんです。
グランプリの取材ですかねぇ…。

明日はヤンググランプリ、
単騎の選手が多いですが、追込み選手が少ないのでコースが空けばチャンスが。

そして、今日のガールズケイリングランプリ。
この方は鼻息荒かったですね~。

 

惜しくも2着でした。
しかし、男道を突き進む姿はカッコよかったねぇ。

また来年頑張れ!


深谷にカメラを向けると、
 

よ、こうちゃん!

えらそーに( 一一)

さー、深谷が4コーナーを回って先頭だ。
粘る、粘る深谷知広~

 

ゴーーーーーーーーーール!

 

からの~~~~~~~~~、


 

よ、こうちゃん!
えらそーに( 一一)

という寸劇を展開しながら、2014最強の男を決めるレースはあと2日!
お楽しみに。





燦燦ダイヤモンドカップ争奪戦(GIII)

ヤマコウです。

引退して早2年。
現役を離れた立場で競輪を見てきて、
たま~に現役に戻りたい気持ちに戻りたい‥
と思うときがあります。

1着を獲った時のすがすがしい選手の顔。
そんな姿を見ると、
「自分には、そうした気持ちになることはないのか~」
と寂しさ半分、
出走前の緊張した表情を見ると、
「辞めてよかった」
とホッとした気持ち半分。

そんな時、テニスの錦織圭選手の活躍を見て、
「これだっ!」
と思ったのが、指導者のマイケルチャンさんの姿でした。

自分が培ってきた、トレーニング方法を誰かに伝えたい、
という気持ちは常々思っていました。

そこで、目に付いたのが彼。


鰐渕正利(65期・愛知)です。

私の1つ下。
現役時代から仲が良かったので、ずっと気になっていました。

かつて、GⅠ戦線でも活躍していましたが、
今はA級1班です。
年齢とともに、成績も下降線。

「おい、ブチ!
俺がマイケルチャンになるから、お前錦織圭にならんか?」

「まじっすか?頑張ります!」
と即答。

ここで、競輪版マイケルチャン教室が始まりました。


これはトレーニング風景。

しかし、口の悪い一丸安貴支部長(70期・愛知)は
「マイケルチャンと錦織圭じゃなくて、野村再生工場ですね(^u^)」
と言って、支部員に見送られて帰って行きました。




「えらなったねぇ(偉くなったね~)、ヤス」

さて、今後の鰐渕をみなさん注目して見ていて下さい。





岸和田キング争覇戦(GⅢ)

みなさん、こんにちは。
最近、うちのおかんが「かに食べさせろ!」と言われたので、
しゃーなく親子の時間を育んできたヤマコウです。


岸和田GⅢ、初日が終わりました。

めっきり寒くなって、しかも雨上がり。
風がけっこう強い上に、
岸和田の直線の長さに自力選手は苦しみながらも、
結果を出した、川村晃司、早坂秀悟、筒井裕哉、川口聖二、岡崎智也などは
2次予選以降も期待できそうです。

今回、初日特選のレースから目に付いた選手を。

木暮安由。
彼のレースは、競輪祭の初日を見て「あれっ?」と思いました。
脇本雄太―村上義弘が打鐘からすんなりと先行。
今のワッキーなら、打鐘からの先行の距離は短いと思っているはずです。
ましてや、2番手は村上義弘。
村上に睨まれて動けなかったという選手は非常に多いです。

そのラインの4番手を取ったのが木暮。
いつもの彼なら、後ろが来なければ2センターからの仕掛けで勝ちを狙いに行ったはず。
それが、2コーナー立ち直ってからすかさずまくりに行きました。
捲り上げの形になりましたが、しっかりと外を踏み込んでいって2着。
調子の良さを感じました。

そして、競輪祭決勝戦。
彼は、「何の迷いはなく関東4番手」(木暮談)を選択します。
これまでの走りなら、別線という選択肢というのもあったはず。
実際、4番手という位置は優勝には遠い位置です。
そこをあえて選択し、グッと自分を我慢する。

賛否両論あるでしょうが、私は正解だと思っています。
今の彼は、関東の重鎮には認められていないと思います。
その中で、4番手を固めるというのは「木暮悪いなぁ…。今度はあいつの分まで。」という気持ちが芽生えてくるはず。
そこからが、タイトルへの一歩だと思うのです。

人のために頑張る選手は、自分にも返ってくると私は思っています。

今後のレース次第にもよりますが、木暮はタイトルを獲る力というのは十分ある。
今まで獲れなかったのは、いつでもどんなレースでも1着を目指す、
要は勝ちにこだわりすぎるところにあると思うのです。

GⅢ優勝が目標なら、いかに4日間を戦うか。
しいて言うなら、その前のFⅠでの走りでも
そこに向かって組み立てて行かなければならないと思います。

必殺技で1次予選を勝っても、2次予選、準決勝では通用するとは限りません。
必殺技は、ここぞという時にだすから必殺技なのです。
要は、18番の出し惜しみです。

そこを上手く理解できるようになれば、今後の彼はもっと強くなると思います。

これは、E-SHINBUNの隠れ番長です(笑)。





e-SHINBUNカップ

みなさん、お久しぶりです。
最近、アメ車のスポーツカーのエンジン音ばかりネットで聞いている変態ヤマコウです。

ご存じの方もいるでしょうが、わたくし極度のクルマフェチです。
しかもアメ車専門。

先日も、鎖骨骨折で長期休養中の深谷知広とクルマ屋さんに行ってきました。
なかなか骨がくっ付かないと嘆いている深谷も、ちょっと息抜きが必要かなと‥。

もちろんわたくしのお目当ては、アメリカンマッスルカーです。
シボレーカマロや、フォードマスタング、ダッヂチャレンジャーなど。

子供の時は、あんなに子どもチャレンジは大嫌いだったのに、
今では、チャレンジャー大好きです。

そして、2人でクルマ屋さんに到着しました。
別に自分の車でもないのに、見ているだけでワクワクします。
意味もなく2時間くらいは平気でいられますからねぇ。

そんな中、我々が発見したのがコルベット。
白いコルベットは、ただならぬオーラが漂っていました。
赤いホイールに黒のストライプ。
おめでたいのかおめでたくないのかよく分らないカラーです。

そんなコルベットを、お店の方がエンジンを掛けてくださいました。

キュルキュルキュル‥
バオオオオオオーーーーーーン!

ものすごい爆音です。
しびれちゃいました?

たぶん、クルマに全く興味のない方は、何がしびれるのかよく分らないと思います。
しかし、クルマフェチには感じまくるのです。
もちろん、深谷も目が?マークです。

そして、2人でそのコルベットに試乗してきました。
もちろんオートマチックじゃありませんから、手動でコキコキしなければいけません。
エンジンを引っ張るとしびれるような爆音が?
深谷の顔も緩みっぱなしです。

一通り試乗が終わったあと、2人とも大興奮でした。
「いやー、おもしろかったね~、おもしろかったよ~」
もう中(もうすぐ中学生=お笑い芸人)状態です。

ここに、前橋競輪イー新聞カップを走ったばかりの藤木裕も加えたかった。
あいつも、クルマ変態です。
真っ赤な日産GT-Rに乗って、ムチャクチャ早く走れる仕様にしてありますから。
絶対目が?になるはずです。

そんな藤木、最近は勝ちきれないレースが続いています。
ちょっと息抜きにでもクルマ屋さんに連れていこうかと思います。




第57回オールスター競輪(GI)

ご無沙汰でございます。
ヤマコウです。

とうとうオールスター競輪が始まりました。
このオールスターが終わると、一気に季節も秋めいたものになってきます。
大会が終わったあとに、競輪場をあとにした時、
一気に季節の変わり目を感じるのです。

そして気になる年末のケイリングランプリ2014のメンバーも
だいたい分かってきます。
ボーダーにいる選手は、この大会で決めたいと思っています。

そう思っている選手はだれか。
今年タイトルを獲った村上義弘、博幸。
そして稲川翔に深谷知広。
これ以外の賞金上位選手です。

浅井康太、武田豊樹、新田祐大、岩津裕介、大塚健一郎、金子貴志あたりが
そう思っているでしょう。
あとの選手は、この大会も競輪祭も頑張らなければいけない。

その中でも、金子貴志の今後に迫ってみたいと思います。

グランプリユニフォームを背負って9ヶ月。
金子はホントに頑張っていると思います。
年齢的にも39歳。
今から、かつてのような対戦相手をねじ伏せるような力強いレースというのは、
これからは難しくなるでしょう。
本人は1周半の先行を差せなくて、多少ショックと思う部分もあるかも知れない。
しかし、わたしはこのレースは金子にも得るものがあったと思います。

これからの金子は、
いかにごまかしながら過去のイメージを崩さず闘っていくか、
ということが大きな課題となってきます。

それでは、過去の金子のイメージとは何なのか。
それは、ダッシュなら他の選手に負けないよ
という1点に尽きると思います。

裏を返せば、深谷知広のダッシュは必ず付いていく、ということです。
競り合いになっても、ダッシュで金子に負けると思わせること。
これが重要だと思います。

差す、差せないは年齢を考えれば仕方のないことです。
いかに2着をキープするか。
そういった意味では、
深谷を差せずに準優勝でしたが、
豊橋GⅢの決勝戦の意義は大きかったと思います。

あの、深谷の打鐘からのダッシュに付いていけるのは金子しかいないと思います。

そのイメージを崩さず闘っていく。
そしてチャンスがあれば1着を狙っていく。
これでいいと思います。

これからの、そして今大会の金子の活躍を楽しみにしています。




e-SHINBUN杯

8月24日、豊橋競輪開設65周年記念ちぎり賞争奪戦は
深谷知広の優勝で幕を閉じました。

深谷の地元で「ちぎり賞」って…。
いやみかっ!
私が現役なら、近寄りたくない競輪場の一つです(笑)。


レースは見どころ満載でした。
ライバル意識を全面に押し出した稲垣裕之が打鍾先行。
その後ろで新田康仁が粘る。
混戦になったところを、打鍾過ぎに深谷は一気に仕掛けていきました。

最終ホームでは、
先行する稲垣をあっさり捕えて、金子貴志と独占態勢に入りました。
ここで、深谷のスピードに観客席から大声援。
そして、4コーナーから金子を振り切って優勝!
あの展開で、金子が差せないのには驚きました。

すごい深谷!

ゴール直後、右手を大きく上げて観客にアピール。
見ている私たちも、鳥肌の立つようなレース内容でした。

そして、
意外だったのが
お客さんのいない3コーナーでも両手をあげてガッツポーズしていたこと。

これは、地元記念初制覇が嬉しくてのものではなく、
自分自身へのガッツポーズだと思いました。
「地元開催を乗り切った!」
という自分自身へのご褒美。

地元記念初優勝は、あとから付いてきたのです。

そして、場内ステージでの優勝インタビュー。

大げさではなく、
元SMAP、
今はオートレーサーの森且行選手のトークショーより人は溢れていました。

待望のニューヒーローが競輪界に誕生しました。
深谷で買えば、少ないリターンながらも確実に車券が儲かる。
反対に、深谷を外せば大きな配当が期待できる。
ひじょうに購買意欲を駆り立てる一戦だったと思います。
決勝戦だけで、6億円以上売れたといいます。

自粛組が欠場した3カ月間で、
こんなモンスターが育っていました。

久々に競輪界に明るい話題となりました。




サマーナイトフェスティバル(GⅡ)

松戸競輪場で行われているサマーナイトフェスティバル。
初日が無事終了した。

前検日は、
ガールズケイリンの選手たちや、
復帰組の選手たちがいて
非常に華やかな検車場だった。

注目を集めるのは、やはり復帰組の選手たち。
3カ月ぶりの実戦は、
私たちが思っている以上に、胸に迫るものがあったらしい。
口をそろえて言うことが
「お客さんの声援がすごかった」

走る選手も、ある程度厳しい野次を覚悟していたらしい。

しかし、ふたを開ければ声援しかなかった。
そして、1着を取れば割れんばかりの拍手が待っている。
思わず手を上げずにはいられなかった。
平原康多や武田豊樹も。

そして、最終レース深谷知広が登場。
これまたレース内容がすごかった。

打鐘前から力でねじ伏せるかまし先行。
それに一瞬、稲川翔が離れる。
何とか追いつくが、高松宮記念杯競輪の王者が追走いっぱいで深谷が逃げ切った。
その瞬間、場内割れんばかりの大歓声が起こった。
「やっぱりエースはすごい」と。

復帰組がいない間、
誰が競輪界を背負ってきたか、
ファンはよく知っていた。

残ったSS班や、他の選手も頑張った。

それでも深谷の存在は別格といっていいだろう。

そして、サマーナイトフェスティバル決勝戦、
全くブランクを感じさせなかった武田豊樹。
その他からも、平原康多や佐藤友和、川村晃司が決勝入り。

天田裕樹を先頭に、結束する関東勢。
後ろに平原、武田、神山雄一郎まで並んでまさに強力。

いうなれば3弾ロケットの布陣。
そこに深谷は浅井康太が後ろに付けているとはいえ、
一人の機動力でねじ伏せにかかる形態が予想される。
川村の動きを利用して…
という考えは全くないはずだ。

深谷は、競輪界や復帰組にとっても
高い山でなければいけないと思う。
そこは彼も自覚しているだろう。

決勝戦が俄然気になってきた!




平安賞(GⅢ)

向日町GⅢが明日から始まります。

今回は、何といっても村上義弘を始め、
村上博幸、稲垣裕之、成田和也、渡辺一成の復帰戦に注目でしょう。

これにて「選手会問題」は一応幕を閉じるのですが、
競輪界はあまりに大きなダメージを受けてしまいました。
関係者を始め、ファンの方々、残った選手に脱会した選手達、
みんなが傷ついて終わりました。

「自分達がお世話になった競輪界を何とかしたい」
この思いから行動を起こしたわけですが、
ボタンの掛け違いもあって、
多くの誤解も読んだと思います。

しかし、一度起きてしまったものは仕方ない。
それを受け入れてリスタートすべきだと思っています。

幸いにも、
先の寬仁親王牌を深谷が優勝して、
残留したSS班との対決機運が盛り上がっています。

脱会組がいない間、
残留組はホント頑張りました。
各地のGⅢでのプレッシャー。
GⅠでの緊張感。
エースを張るというのはこんなにしんどいものなのかと、
痛感したと思います。

その中で、新しいスターも現れようとしています。
高松宮記念杯を優勝した稲川翔。
函館GⅢは残念な結果だったと言われるようになった菊地圭尚。
骨折はしてしまいましたが、
脇本雄太の先行力は、他の自力選手を圧倒していました。

そんな選手達も、
「彼らがいなかったから活躍できた」
と言われるのだけは、絶対イヤなはずです。

今まで以上に闘志を燃やして戦っていくだろうと思います。

楽しみな要素が増えたわけでもありますが、
欠場していた選手達もたいへん苦しんだと思います。

5月の平塚GⅢ。
村上義弘のトークショーは、大げさではなく競馬のGⅠのような盛り上がりでした。
大声援にかき消されて、
村上が何を言っているのか
インタビュアーの私も聞こえないくらいでした。

そして、そのステージが終わったあと裏でひっそりと村上は泣いていました。

心のよりどころがない中で、あれほどの声援はどれだけ心強かったか…。
あれがあったからこそ、村上義弘は帰ってきたと思います。

本人は責任を取って引退という選択肢も当然考えていたでしょう。

それを支えていたのは、
ファンの声援と
どんな時も黙って付いてくる藤木裕や稲垣裕之や川村晃司だったでしょう。
「自分は引退という道を選んで、残った後輩らだけに苦しい思いはさせたくない」
絶対こう思って帰ってきたはずです。

残った選手と帰ってきた選手。
それぞれの思いがプラスに働くと私は信じています。




第23回寬仁親王牌(GI)

みなさん、お元気で過ごしていますか?
ヤマコウです。

先日、e新聞ファミリーの浅井康太、
昨年、現役を引退しましたが
バレー界の「世界最強セッター」と言われた竹下佳江さんと、
スピードチャンネルの
「トークオンベイサイド クロスオーバー」
という番組でご一緒させていただきました。

竹下さんは、
現役時代しょーもないインタビューとかされると、
返答してくれない…という噂。

バレーボールといえば、「東洋の魔女」程度しか知らない私には、
限りなく高いハードルです。
やばし…。

竹下さんの自伝などを読むのですが、
知識が全くないので、全然頭に入ってきません。笑

あとは、中学高校時代とバレーボールをやってきて、
竹下さんを「神」と崇める、同じく司会のさとうゆみさんに託すのみ。
そう、わたくしがアントニオ猪木氏を「神」と崇めるように。

てか、それならいくらでも聞くことあるわい!

といった感じでゆみさんはトークを弾ませていくのだろうな。


そして、控え室に入りました。
「よろしくお願いします…」
すると、そこには頃合い40前後の2人の女性が…。
明らかに業界人といった感じです。
こちらを見て、
「あ、お願いします…」
と蚊の鳴くような声。

「竹下さんも、現役を引退したら雰囲気変わるんだなぁ…
てか、写真と雰囲気全然違うやないかい」
と思っていると、
「よろしくお願いします!」
と、ムッチャ爽やかな声が…。

その方向を見ると、
「竹下さんやないかい!」

そう、この業界人風の女性お2人は、スタイリストさんでございました。
ごめーんね、竹下さん(笑)。

実物の彼女は、現役時代の鋭い眼光…
といった感じではなく、とても穏やかな柔和な感じに変身しておりました。

私も、引退してからかなり柔和な顔に変わりました、ええ。


てな感じで始まったトーク番組。
もう、何回もこの番組をやらせていただいてますが、
やはり一流のアスリートというのは、だいたい考え方が同じです。

まず、人と同じ土俵に乗らない。
自分を客観的に見られる。
目先の勝利よりも、もっと先を見ている。

まぁ、努力することは当然として、
他にもたくさんありますが…。

あと、浅井はホントに成長したなぁ
と改めて思いました。

詳しくは
「トークオンベイサイド クロスオーバー」
をご覧ください。

ではまた(@^^)/~~~




水戸黄門賞(GⅢ)

久留米記念杯決勝は、坂本亮馬の優勝で幕を閉じました。

亮馬のイメージって、みなさん共通していると思います。
スマートな兄ちゃんで、いい素質を持っていながら、
仕掛けどころが遅くて、勝負には淡泊。
ブレイクしそうで、出来ない。
そして、少しおねえなところ。笑
だいたい、こんなイメージではないでしょうか。

しかし今回、私は意外な亮馬の意外な姿を見ました。
初日特選レースは、深谷知広の3番手回り。
ここまでは、自分の型に拘らない現代っ子らしい、あるいは亮馬らしい選択だったと思います。

まずは、固く水谷好宏、浅井康太の3番手回り。
そして、しっかり3着を獲って2日目優秀戦に進みます。

優秀戦は九州勢とラインを組んで、日本最強の深谷-浅井に対抗するも3着が一杯。

そして、準決勝。
再び、吉本卓司とラインを組んで決勝進出を目論みます。
そんな彼が、吉本が2コーナーからのまくりの少し出が悪かったとみるや、
危ないと感じた内に入り込んで言って、決勝戦を決めます。

淡泊な亮馬が、勝負への気迫を感じさせた一戦でした。

決勝戦、松岡健介が浅井康太の前を買ってでます。
別線で走ろうと思っていた浅井に、健介がそういうなら…といった感じで、ラインが出来ました。
これを見て、誰もが健介が先行すると思いました。

対して桐山敬太朗は、横も考えた自力戦。
問題は、脚力は申し分ないけども、走りにムラがある中川誠一郎です。

私は、健介が先行するとみましたが、
誠一郎の3番手に、大塚健一郎が付いているのでいろいろ考えてくるだろうと思いました。

結果は、松岡健介のまずい攻めにも助けられて、誠一郎が先行。
しかも、あまり脚を使わずに先頭に立ったので、十分ゴールまで持ちました。

そして、それを差して亮馬が優勝。
今回、チャラい亮馬は影を潜めて、連日レースから気迫は伝わってきていました。
逸材としては、スター性も兼ね備えていいものを持っています。
しかし、これまでは精神的な弱さがレースにも現れていました。

今回のように、気迫が備わるとさらに飛躍ができると思います。
九州勢も、今回の「中野カップ」を亮馬が優勝したことを見て、
感じるものがあったと思います。

これからの九州勢、今回の取手GⅢでいうなら、
井上昌己や、小野俊之がどう戦うか注目してみたいと思います。




2014 高松宮記念杯競輪(GⅠ) in 宇都宮

私は今、宇都宮競輪場で行われている高松宮記念杯競輪に参加している…

ん?
選手じゃないから、参加じゃないな。
場内イベントがメインだから、おじゃましているだな…。

さ、今回の宮記念杯。
最大の見所は、5月の平塚記念競輪以来の参加となる深谷知広が、
どれだけ復調しているかどうかだが、
初日の白虎賞のレースを見る限り、
体調どうのこうのよりも、レース感が研ぎ澄まされてないなぁ
といった印象だ。

レース感とは何か。
深谷の場合、1ヶ月以上レースが空いた。
例えば、復帰後のレースで打鐘あたりに仕掛けるタイミングが来たとする。

すると、レース感がいい時には躊躇せずに仕掛けるのだが、
そこが良くないと、
「よし仕掛けるタイミングはここだ! でもここからの距離じゃ長いかな」
とか、
「ここから仕掛けて、ゴールまで粘れるかな…」
と、普段なら体が反応して仕掛けていくのに、
一瞬、考える時間が出来る。

そして、勝利の好機を逃してしまう。

これが、レース感が悪いという表現になるわけだ。

そして、相手が脇本雄太というのも良くなかった。
脇本といえば、今深谷と対戦するメンバーで最大のライバルだと思う。
先行する脇本に、深谷がどこまで巻き返せるか…
そこが最大の焦点であり、見ている者も分かりやすい。

4月の伊東温泉競輪場で行われた共同通信社杯2次予選、
深谷と対戦した脇本は、残り2周半で前を取った深谷を抑えた。
そして、深谷が引ききったのが2周前の2センター。
ここで脇本は迷った。
「まだ深谷は来ないだろう…」
この「だろう運転」が完全に深谷に読まれた。
一気にかまして、残り2周の時点で先行態勢に入ったのだ。
ここで脇本はジ・エンド。
深谷がウィナーとなった。

それ以来の対戦。
当然、脇本からしたら前回の失敗を活かす戦いとなるはずだ。

レースは、前を取った深谷を脇本が抑えにいく展開。
それもいつものようにかまし気味に行くのではなく、
ゆっくり残り2周から動いて出た。

そして打鐘前に抑える。

ここで、今度は深谷に迷いがでた。
脇本は、一気に叩いて出ると思っていたのが一転ゆっくり抑えに来たのだ。
「引くか、突っ張るか…」
迷って引いた深谷を、脇本は見逃さない。
引ききったタイミングで、一気に先行した。

深谷は、レース感のまずさも手伝い6着。
脇本は末を欠き5着。
先行選手という観点で見ると、脇本の完勝だったといっていい。

こうして、2人の戦いは名勝負となっていくと感じた。
藤波vs長州のごとく、「名勝負数え唄」と言われる戦いに期待したい。



報知新聞賞

5月17、18日と取手競輪場で
「全日本プロ選手権記念競輪」、通称「全プロ競輪」がありました。

私、ヤマコウはスピードチャンネルのお仕事で、
同じく同専属解説者の内林久徳さんとずっと行動を共にしておりました。

仕事の内容は、
次の日のレースの展望を、
2人で予想をする‥という感じです。

しかし、収録時間は次の日のレース番組が出てから、
選手のコメント、そこから各解説者のフォーカス、そして番組の構成など、
開始時間が、だいたい20時ぐらい。
終わる時間が21時過ぎ。
その後に晩ご飯です。
だいたい22時くらいから。

GⅠ、GⅡの時は、必ずこの収録があります。
4日間続けると、私はお腹が弱いので、
胃の調子は必ず悪くなります。
私にとっては、何気に過酷な4日間なのです。

そして、ウッチーと一緒にいる機会が多くなってもそこはやはり同期。
話す内容は、まじめな話からしょーもない話まで、いくらでも出てきます。
今回のしょーもないと感じた話は、
まず、「今の競輪選手になれるとしたら、誰になりたい?」という話。

私は、「深谷になりたい」と答えました。
あれだけの脚力で、あれだけの勝ち方ができれば競輪が楽しいかなぁ‥
というのが理由の一つ。
まぁ、実際はレース前のプレッシャーは凄いでしょうけど、
それも含めて、深谷になりたいなと。

ウッチーは「浅井になりたい」らしいです。
理由は「なんか気楽そうに競輪してるやろ。そこがええわ。」とのこと。
現役時代、自分を追い込んで追い込んでレースに挑んでいたのが、よほどしんどかったのでしょうな(笑)

じゃあ、話を変えて今度は
「タレントや俳優なら誰になりたい?」
というしょうもない話。

私は「ブラットピット」と答えました。
だって、カッコいいでしょ。
しかも奥さんは、アンジェリーナジョリーでっせ。
なりたいでしょー。

今度はウッチーの番。
「そやなぁ‥」
と一呼吸して
「竹之内豊だな。かっこええやろ~」

私は、爆笑してしまいました。
顔は似ても似つかないけど、雰囲気は何となくわかるでしょ?
そこを目指してたんや~。
今度からは、河村隆一じゃなくて竹之内豊と言わしてもらいますわ。

と、こんなたわいもない話をしながら、取手の夜は過ぎていきました。
次は高松宮記念杯競輪(宇都宮競輪場)でウッチーと一緒です。



全プロ選手権記念競輪

平塚競輪開設64周年記念、
通称「湘南ダービー」は、深谷知広の優勝で幕を閉じた。
ひと言で、「深谷の優勝で幕を閉じた」と書いてあるように感じるかもしれないが、
壮絶なドラマもそこにあったことも、書き記さなければならない。

伊東温泉競輪場で行われた共同通信社杯競輪から中2日。
身体的な疲労は残ってないわけがなかった。
2次予選。
脇本雄太と、残り2周からの先行争い。
それを制して逃げ切り、その開催一番の声援を受けていた。

その激闘の次の日、両者には疲労の色が濃く残り、
脇本は、負け戦ながら大敗。
深谷は、準決勝は2着でクリアしたものの、
前日までの、弾けるような走りは影を潜めた。

取材をすると、その2次予選での先行争いで、
3日目からは脚が張って上手く回せなかった。
と両者とも言っていた。

脇本は、
「500バンクで2周先行してもあれほど次の日に残らないのに、深谷と先行したら次の日は全く別人でした。」
と言っていた。

それほどトップ選手同士の闘いというのは、
精神的、肉体的に負担が大きいものなのだ。
そこから更に、2日間のレースが待っている。
どれだけ疲労しているかは、容易に想像できた。

そして、中2日で「湘南ダービー」。
前検日は「疲労感は抜けきっていない」
と言いつつも、明るい表情を見せていた。
実際、
初日特選レースは、今の競輪界を背負って立つという自覚溢れる深谷らしい豪快な走りで1着。疲れをあまり感じさせなかった。

それが明らかに変わっていったのは、2日目優秀戦を終えてから。
準決勝のインタビューのあと、身体を引きずるように控え室に帰って行った。
それでも「競輪界を自分たちが盛り上げていく」とインタビューの節々で語っていた。

3日目準決勝。
いつものように前を取ってから、巻き返して行くレースだったが、
連日の力強いところを見ている私達は、当然1着でゴールを駆け抜けるとみていた。
しかし、結果はまくり追込みが届かずの3着。
肉体的負担はピークに達していたと思う。
実際、検車場で見る姿も痛々しいものだった。

そして決勝。
地元神奈川勢の2段掛けの上を、気力でまくり切って優勝。
ゴール後、珍しく大きく手を挙げてガッツポーズを何度も何度も繰り返した。

それは、優勝自体が昨年2月の高松GⅢ以来という簡単なものではないはずだ。
体調が万全でない中で、自分の持っているすべてのものを出し尽くして優勝。
競輪を支えるエースの第一戦、どうしても結果が欲しかった。
疲労がピークの中での優勝。
嬉しいとかではなく、自分自身に勝ったという部分で嬉しかったのだと思う。
深谷は、確実に競輪界の顔として成長していると感じた一戦だった。



前橋競輪場 ミッドナイト競輪

平塚競輪64周年記念競輪は、深谷知広の優勝で幕を閉じた。

SSイレブンに在籍した23名を除いた初めてのGⅢ。
今年のS級S班は深谷知広、金子貴志、浅井康太、後閑信一の4人で、
後半の競輪界を引っ張っていかなくてはならない。

その中で、深谷と後閑が平塚GⅢに参加した。

共同通信社杯から中2日。
身体に疲労が残っていないわけがない。
特に、2次予選で脇本雄太と死闘を演じた深谷の体調が心配された。

初日、深谷に果敢に勝負を挑んだ屋良朝春を力でねじ伏せた。
しんどい、しんどいと言いながらも、内容の濃いレース内容。
「俺が競輪界を引っ張っていく!」
そんな力強いメッセージを感じた。
そして、今回もシリーズの流れを一気に引き寄せる。

2日目優秀戦、
地元神奈川勢の2段ロケットを、まくり追い込んで2着。
深谷包囲網は、確実に彼の身体をむしばんでいった。

3日目の準決勝戦。
取材をしていても、疲労困憊といった感じだ。
身体を引きずって歩いている。
何とか3着で決勝戦に滑り込んだが、自転車の進みは良くないと見た。
そして
「一生懸命頑張ります」
と言う姿に力強さは全くなかった。

深谷、危うし!

は、インタビューの現場にいた者は全員感じたはずだ。
しかも決勝戦は、またもや神奈川勢の2段掛け。
桐山敬太郎に優勝のチャンスが巡ってきたと感じた。
それでも深谷が優勝するなら、
この先は、彼を中心に回っていくだろうとも思った。

そして、結果は神奈川勢の思いを粉砕して優勝。
ゴールした瞬間、GⅠを優勝したかのような派手なガッツポーズ。
ここに今回の深谷の辛さを感じた。
エースとして競輪界を引っ張っていかない立場。
しかし、身体は疲労しきっている。
それでも勝利は義務付けられるのだ。
昔の深谷なら、投げ出していただろう。

ほんとに彼は成長した。
私が現役だった頃、ただ脚力があるだけのモンスターだった。
今の深谷は、走る毎にメッセージを発するようになった。
真の競輪選手となった。

そんなことを感じた平塚64周年記念競輪だった。



やひこけいりん 日刊スポーツ賞

ご無沙汰しております。
ヤマコウでございます。


少し遅くなりましたが、
高知記念のお話でもさせていただこうかなと思います。

この高知記念、
実は初日に武田豊樹のトークショーがありました。
武田と高知競輪といえば、
昨年7月の追走義務違反での失格が思い出されます。

今回のトークショーは、
ひと言、お客さんや関係者に直接会ってお詫びしたい…
ということで実現しました。

こういう形でのトークショーというのは、
わたくし記憶にありません。
それだけ、競輪界にとっては画期的なことでした。
それを判断していただいた、関係者のみなさんにホントに感謝したいと思います。

まず、CS中継に出てもらって、
昨年のレースの経緯や、名古屋競輪場で行われたダービーの話を伺いました。
武田本人も、
自らしてしまったこととはいえ、
こうしてテレビなどに出て話すということは、非常に勇気がいることだったと思います。
それだけに、武田の辛い気持ちが痛いほど伝わってきました。

続いてトークショーです。
これは、直にお客さんと接するだけに、
正直なところ反応は未知数でした。
インタビュアーの私や、司会進行の服部加代子さんもそこは勝負です。
静まり返ったお客さんの前で淡々と進めていきました。
実際は、二人で目配りをして汗だくで進めていました。

マイクを両手で握りしめ一生懸命に語る武田の姿は、

正直心打つものがありました。
彼のインタビューの中で特に印象に残ったのが、
「今の自分は、ファンの声援で頑張れている」
ということ。

これは正直な気持ちだと思います。
何かと話題を集めている選手会の問題で、
窮地に立たされている彼ですが、
ファンからの声援も1、2を争う大きさであることは紛れもない事実です。

実際、トークショーでも静まり返った中で、
その時の心境を語り切った彼には、
自然と拍手が沸き起こりました。

これには私も感動をおぼえました。
それは服部さんの同じであったと思います。
その瞬間、武田の目も少しうるんでいたような気がします。
彼もしんどい思いをして、この場に立ってよかったと思ったはずです。

5月から1年間、彼の姿を見ることはできません。
処分するほうの言い分も十分わかります。
しかし、ファンには何の関係もありません。

こういう、
複雑なファンの心理も理解していただきたいと感じた
トークショーでした。



名古屋競輪場 日本選手権競輪(GI)

山田裕仁が、今日引退を表明しました。

確実に、私達の時代が終わったというのが、
今の率直な感想です。


前々から、そのような雰囲気は感じてましたが、
私は、神山雄一郎が引退するまでは、しないと思ってました。
それほど、彼にとっては神山雄一郎というのは偉大な存在だったわけです。

61期を、在校成績85位で卒業し(当時は1期100人くらいいました)、
ホントに叩き上げでここまで来たと思います。

山田裕仁と、初めて出会った時のことは鮮明に覚えています。
私が、まだ競輪選手を目指そうと思って自転車に乗り始めた時のことです。
「愛好会」といって、競輪選手を目指す人たちが所属する会がありました。
そこに初めて参加した時のこと。
何やら、無愛想な感じでやけに背がでかい、同じ年くらいの彼がいました。
そこに初めて参加した山田裕仁でした。
私達が、高校3年生の秋のことです。

その時は、あいさつを軽くしただけで別れたのですが、
これが、私の一生を左右する出会いとなることとは、
当時微塵にも感じませんでした。

彼は、適性で61期に入学。
私は、そこで試験に落ちて、
62期の実技試験で入学しました。

彼は、競輪学校時代からホントによく練習をこなしていました。
早朝練習、授業が終わった後でも練習と、1日中自転車にまたがっていました。

そして、デビュー。
一緒によく練習し、よく遊びました。
どれだけ遊んでも、翌日は必ず練習してました。
私は、さぼったりしてましたが(笑)。
一睡もせず、練習に出掛けることもよくありました。
ホントに、ハングリーな選手でした。

そして、彼の方がS級1班になるのも早く、
常に私が追いかける立場でした。

何回も連携し、戦ってきました。
いつからか、同級生というよりも戦友といった感情になっていきました。
どれだけ緊張してレースに挑んでも、
そこに彼と同乗するだけで、なにか安心感がありました。
「山田のプレッシャーなんかに比べたら、俺のは屁みたいなものだ」
と、汚い表現ですが、
いつもそう思っていました。

山田裕仁との戦いの中で、
一番思い出深いのが、2010年12月29日に京王閣競輪場で行われた「SSカップみのり」です。
小嶋敬二、山田裕仁、山口幸二と並んで小嶋が先行。
優勝争いは1/8輪差で山田が優勝、私が2着でした。

そして、その後
「これからは幸二の後ろでいいから」
とポツリと言ったのを覚えています。

この時は非常に嬉しかった。
やっと一流の選手として認めてもらったというか、何というか…。

そういった、やりとりもこれからなくなるのかと考えたら、
ホントに寂しい一日でした。

山田裕仁がいなかったら、私はここまでの選手にはなれなかったと断言できます。
ありがとう!
そして、今はゆっくり休んで下さい…。



静岡競輪場 たちあおい賞争奪戦(GIII)

久しぶりの執筆になりました、この「やってやるって!」。
ただいま、静岡記念「たちあおい賞争奪戦」にきております。

たちあおいと言えば、徳川家ですよねぇ。
駿府城、歴史マニアとして一度は行ってみたいお城でございます。

この静岡という地は、気候にも恵まれて非常に環境がいい。

雪も降らないし、冬も岐阜県とかと比べても冬暖かい。
競輪選手としてもってこいの環境です。

私には、一つ格言がありまして、
「暖かい地域の選手は、全員なぜかホンワカしている」
というのがあります。

寒い地域の選手の方が、ハングリー精神に溢れていると言ったらいいでしょうか。
中部地区でいうなら、岐阜県や愛知県の選手はガツガツしてますけど、
三重県の選手は、なぜかホンワカしている人が多い。
中には例外的な人物もいますけどね(笑)。

静岡も、神奈川などに比べてやはりそう感じます。
ま、それがいい悪いというのではなくて、
そういう傾向があるということで。

女性に関しては分かりませんけどね。

というわけで、静岡といえば忘れもしない思い出がたくさんありすぎます。
2008年に行われた静岡ダービー。

2次予選、わたくしは村上義弘と同乗するレースとなりました。
この年は、1月に競輪祭があり、
私は決勝に駒を進めていました。

決勝には乗ったのですが、乗っただけで満足している自分がいました。
結果5着だったのですが、悔しいとか全くなく、
要はハングリーさがなかったということですね。

この当時、村上も苦戦していました。
調子が良くなってきたら落車の繰り返しで、
このダービーも、全く精彩を欠いてノーマークといった感じでした。

しかし、
その調子の村上が打鍾から迷いなく先行勝負に出ました。
「すげーな、村上。ここから仕掛けてもつのかな…」
と思うと同時に、何か熱いものがこみ上げてきました。

先行する村上の背中をパッと見た時、
がむしゃらに逃げている村上が目に入ってきました。

「こいつは、満身創痍の中で、逃げずに一生懸命勝利を求めて走っている。
おれはこんな姿勢でいいのか」
忘れもしません、そう思ったのは残り1周の最終ホームです。

そして結果は…
私が1着を獲ったものの、村上は5着で準決勝へ駒は進めませんでした。

レースが終わった後、なぜだか涙が止まりませんでした。
現状に満足している自分が恥ずかしいと思った時でもありました。

結果を恐れず、勝負する。
自ずと結果は付いてくる!

という姿勢を彼から学びました。
そして、そういう選手が結果ファンの心を掴むことがわかりました。

静岡競輪場に来て、チャラチャラしていますが
改めて思い起こさせてくれた今回の「たちあおい賞」でもありました。



高松競輪場 全日本選抜競輪(GI)

今年のGⅠ戦線がスタートした。
高松競輪場で行われる「全日本選抜競輪」=通称「全選」である。

この全選、古くは平成16年大垣競輪場で「琵琶湖の河村隆一」、内林久徳氏がGⅠ初優勝を決めた。私は河村隆一ではなく、「堺すすむ」、あるいはウルトラマンに出てくる怪獣「ジャミラ」だと思っていたが。
その前まで、共同通信社杯平成12年と13年連続優勝。
内林氏曰く、
「その次の年も、取手競輪場に降った雪で順延にならんかったらⅤ3達成してたがな!」
と訳の分からないことを連発していた。

そんな内林氏、平成14年に立川競輪場で行われた「日本選手権競輪」=通称ダービーで、選手としてのピークを迎えていた。
相手は山田裕仁。これまた選手として円熟期を迎えた時であった。
内林氏の前を走るのが、当時先行で売り出してきていた「京都のカマキリ先行」村上義弘選手。カマキリの頭の三角形の部分と、彼の頭部を上から見た感じがそこに似ているために、私が命名した。

村上ラインの3番手を回ったのが、古原勝巳選手。
「火の玉小僧」と言われ、全国のマーク選手から恐れられていた。
彼は、地元の岸和田競輪場で競り込まれた選手に対して
「お前には一生じゃない、二生競り込みに行ったるわ!」
この言葉を聞いて、私は震え上がった。
「この人には、絶対競りに行くのはやめよう…。2回も人生棒に振りたくないわ。」と。

そんな選手達が戦った、立川ダービー決勝戦。
結果、先行する村上を、山田裕仁がまくって優勝。
内林氏は、3コーナーあたりで山田の後ろに飛び付いたが、
差せずに準優勝。
悲願のGⅠ初タイトルはお預けとなった。

そして迎えた表彰式。
優勝した山田が満面の笑みで賞金ボードを掲げるのはもちろんだが、
2着の内林氏は、1回も笑顔を見せなかった。

しかし、私はそこで衝撃的な光景を見てしまったのだ。

なんと、3着に入り込んだ古原選手が小躍りして表彰台に立っているではないか。
いくら初めての表彰台とはいえ、2着で笑顔を見せない内林氏。
あまりに対照的だ。

「準優勝でも笑顔を見せないなんて、よほどタイトルが欲しかったんだな…」
と思い選手管理宿舎に戻ると、内林氏が賞金室から2着賞金(推定2000万)を持って出てきた。
周りを見渡している内林氏。
私には気づいていない。

すると、きょろきょろしてお金を数え始めた。
そして、ニヤッといやらしい笑顔を浮かべた。
その瞬間を私は見逃さなかった。

「結局お金かいっ!」

と思ったのは言うまでもない。
そして、その2年後「全選」を優勝。

そんな戦いも、この「全日本選抜競輪」から始まる。



前橋競輪場 e-SHINBUNカップ

こんにちは。
ヤマコウでございます(^^)v

1月28日から前橋競輪場で「e-SHINBUNカップ」が始まっております。
初代ファミリーの、俺がおらんってどうゆうこっちゃ!
と憤っておりますが…
実は同じ日程で、千葉競輪場でお仕事しているんですよね~。
この場をお借りしてお詫びしたいと思います。

ごめ~んね(-。-)y-゜゜゜

はい、謝罪終わりました~。


しかし、わたくしヤマコウはただでは終わりません。
実は1月22日、こっそりとミッドナイト競輪に参加してきました。
しかし関東のF2戦です。
一抹の不安を感じながら行ってまいりました。

しかし、全国開催でS下がりの選手がたくさんいて、
全く違和感はございませんでした(^^)v

まず、21時頃に競輪場集合です。
ここから不思議な感覚でした。
頭と体は眠くても、これから仕事が始まる。

レースは21時以降ですが、そこに向けてアイドリングしている状態で、
心から休まる時はない。
私は、現役時代ミッドナイト競輪は走ったことなかったのですが、
ここだけでも選手は大変だと思いました。

そして、無観客でやる競輪なので、
走る側はどんな感じなんだろう…
と興味を持って検車場に潜入しました。

すると、そこにはいつもと変わらない風景がありました。
走る前の緊張感も、レース前のアップする表情も変わりません。

その中でも、地元群馬の斎藤一茂選手が巨体を揺らして一本ゲタを履いてました。
「僕のお腹には、夢と希望がいっぱい詰まってます。」
とポタポタのお腹をさすって、話していました。

「やかましわっ!」(笑)

彼が使用する一本ゲタは、身体のバランスが出やすいという事もあって、
選手は好んで使用しています。

ただ、斎藤選手は公称85㎏ですけど、
あれは絶対100㎏あるな。
そんな彼が履く、一本ゲタの歯が心配でなりません(笑)。


そして、打倒ヤマコウを標榜する町田記者が
「幸二さん、一度観客席からミッドナイト競輪を見て下さい。不思議な感覚になりますから」
という勧めもあって、1Rが始まる5分位前に観客席に移動しました。

シーンとしたドームは幻想的な感じでした。
小声でしゃべっていても響く。
普段のグリーンドーム前橋しか知らない私には、考えられないことです。
検車場で、話している選手の声も聞こえるような静けさでした。

そして入場。
映像に映らないように柱の陰に隠れて観戦しましたが、
何か、自分の為だけに競輪があるような感じがして、
カップルで見にきたら、男女の中はさらに深まるだろうと確信した次第でございます。

そしてミッドナイト競輪が終わるのが、23時半過ぎ。
頭が寝ている状態で、MCの二宮歩美さんとカミカミでお送りしましたが、
これもミッドナイトの魅力かなと…(笑)。

そんな感じで初体験が終わりました。
そんな、選手や伝える側の苦労も感じたミッドナイト競輪でした。




いわき金杯争奪戦(GⅢ)

ごぶさたしております。
ヤマコウでございます(^^)v

今回は、いわき平競輪場におじゃましております。
開設63周年記念「いわき金杯争奪戦」、
この開催には「KEIRIN EVOLUTION」と名付けられた、
今までの競輪史の中でも、画期的なレースが用意されています。

それは、国際ルールに準じたカタカナの「ケイリン」でもあります。
用は、ガールズケイリンの男子版。「ボーイズケイリン」でもあります。
ま、今回走るメンバーは20歳台が1人しかおらず、おっさんばかりですけど(笑)。

出走メンバーは、アテネ五輪「チームスプリント」の銀メダリストの井上昌己、長塚智広。
アトランタ五輪「1㎞タイムトライアル」の銅メダリストの十文字貴信。
北京五輪の「ケイリン」銅メダリストの永井清史。
あと世界選手権などで活躍した、稲村成浩、矢口啓一郎、松川高大の7選手です。

そこでヤマコウが注目するのは、自分の後輩でもあります、永井清史。
彼が2008年に銅メダルを獲った時の地元(岐阜県美濃市大矢田町出身)のフィーバーぶりといったら、それはすごいものでした。
その当時、岐阜支部の支部長をしてましたから、
一緒に岐阜県庁や美濃市役所などに報告しに行きました。

県知事さんとか市長さんなどが、これまた嬉しそうに出迎えてくれました。
対する永井は、元々無口なタイプですから、無表情です。
その狭間で、わたしは愛想笑いで顔面神経痛になるかと思いました。

そんな彼に、みなさん共通してお聞きになるのが、
「オリンピックのプレッシャーってすごいですか?」
やはり、お国を背負って戦うってイメージがあるんでしょうねぇ。
しかも4年に1度。
失敗したら、また4年後。
次出られるかどうかも分からない。
年間何回も走る競輪選手からは、想像もつかない。

そんな永井は、
イースター島のモアイ像のような感じで、
「いや、プレッシャーはあまりなかったです。僕、普段の競輪もあまり緊張しないんです」
とボソッとひと言。

私は、永井が鳴り物入りでデビューしてきて、
同じようなことを聞いたことがあります。
「いつもひょうひょうとしてるけど、プレッシャーとかレース前に緊張したりする?」
すると
「あまり緊張とかしません」
と、ここもボソッとひと言。

私も
「やっぱりここまでレベルが高いと緊張とかあまりないんだなぁ。自分以上の力を出そうとすると、人間は緊張するものなのか…」
と、妙に納得してみたりしました。

しかし!
永井はその後、胃潰瘍で入院してました。

「お前、体調崩すほど緊張しとるやないかい!!!」
とツッコミを入れたかったのは言うまでもありません。
結局は、永井も人の子ってことですわ(笑)。

そんな彼が、カーボンフレームで走る「ケイリン」に注目してみたいと思います。




競輪グランプリ2013(GI)

もう、この季節がやってきた。
「競輪グランプリ2013」である。
競馬の有馬記念、モーターボートの賞金王決定戦と並んで、
公営競技の3大イベントといわれる。

私も、ここの立川競輪場で行われた1998年のグランプリを制覇して早15年。
今でも、昨日のようにその時のシーンが甦ってくる。
最終4コーナー、
先行する山田裕仁に乗って、これを差したら優勝、7000万!(当時の優勝賞金)
と思った瞬間、脚が急に三角に回りだした。
まだまだ、人間としても競輪選手としても未熟だったなぁ…と今思う。


その出場メンバーの中で、
一番脚力的にも劣っていたと思うし、自分自身が初参加で優勝なんて思ってもいなかったので、一番驚いたのは自分自身だったのかもしれない。

最近調子がいいとか、この選手は強いから1着に来る!
という単純なものではないのが、
この「競輪グランプリ」なのだ。

そして、初出場という観点から見てみると、
この3日間つぶさに観察していたが、新田祐大と金子貴志からは、アリアリと緊張感は伝わってきた。

新田は、脚力的にはいつタイトルを獲ってもおかしくはない。
片や金子は、深谷知広の後ろが長塚智広に狙われる可能性がある。
緊張感を漂わせるのも仕方のないところだろう。

その中で、深谷のリラックスぶりが目に付いた。
彼のスケールは、私達のものさしを遥かに超えたところにあると思う。

今年の競輪の活躍を振り返るだけでも、
金子のGⅠ初タイトルを始め、競輪祭での優勝の二冠をアシスト。
その結果、浅井康太のグランプリ出場まで助ける形となった。
そして自身は、今現在無冠ながら賞金ランキング1位に君臨している。
ノンタイトルでその成績は驚異的だ。
それだけ見ても、潜在能力は突出している。

そんな彼は、壮大な夢を描いている。

どんな夢か。

まずは地球環境。
刻々と破壊されつつある地球を憂いて、
あるいは、今いる子供たちの未来の為、
または日本経済のことを考えて、ある一大プロジェクトに着手しようとしているのだ。
まるで、レオナルド・ディカプリオやアンジェリーナ・ジョリーみたいではないか。

そんな、ハリウッドスター並みの一大プロジェクトとは…。

私は、息を飲んで彼の言葉を聞き入った。

答えは…
「太陽光発電によって電気を作り出し、電力会社に買ってもらう」


…ただの電力投資やないかい!!!

と思わず、深谷に突っ込みを入れたのは言うまでもない。

武田豊樹vs村上義弘の対決とは、また違ったライバルストーリー。
次代の競輪界のエースは誰か。

私は、そんな能天気な深谷を頭で狙ってみたいと思っている。



水戸黄門賞(GIII)

「ひかえ、ひかえ、ひかえおろぉぉぉぉ!
この紋所が目に入らぬかぁ!
さきの副将軍、水戸光圀公でござるぞ~~~!」

ということで、ただいま取手GⅢに来ております。

先ず、取手競輪場におじゃまする前に、手土産でも…
と思い、取手駅でタクシーに乗り込み、運転手さんに、
「取手競輪場までの道のりで、和菓子屋さんでもあれば、寄ってください」
と告げると、しばらく考え
「んー、なかなかないね~」
と答える始末。

仕舞いには、運転手さん仲間に「どっかないかー?」
と聞く始末。
「こりゃ、期待できんわ」
と思っていると、お仲間さんが
「あるある、○○の近くにあるよ」
と、地元の地名を挙げて、教えくれました。

早速、そこに向かうと昔ながらの商店街が。
そして細い路地の向こう側に、そのお店はありました。

見るからに、昭和の30年代の匂いのする和菓子屋さんの中に入ると、
おじいちゃんとおばあちゃんが、2人でやっているドラえもんに出てくる感じの雰囲気が。

そこで私がお店の中に入ると、そこのおばあちゃん、急に固まってしまいました。
私の方をじっと見ています。
そして一呼吸おいて、やっと声を出します。

「いやぁ、私ビックリしました。お客さん(私のことね)が入って来た瞬間、
てっきりヨン様が入ってきたと思いました~」

いやいや、ヨン様じゃありませんから。
しかも、ヨン様 取手の和菓子屋さんに来ませんから…
と思っても、嫌な気はしない私は、
どっさりどら焼きを買ってお店を後にしましたけど何か(笑)。

てな感じで、取手競輪場に到着。
久方ぶりにこの競輪場に来た私は、様変わりした競輪場に驚きました。

震災で、バックスタンドのガラスが全部割れてしまい、
建物まで傷ついたらしいです。
そこで、1年以上お休みして、新たにバックスタンドを建設。
ホームとバックを入れ替えて、リニューアルスタート。
このご時世、そこまで手間ひま掛けて競輪を再開してくれたことに、
ほんとに嬉しく思います。

それでも見慣れた選手宿舎には、何か安心感を覚えました。
この宿舎には、被災して住むところを失った方のために、
3ヶ月近くここを開放していたらしいです。

120人近くの方が避難されていて、
そのうち40人近い方がここで再開のイベントをしたらしいです。
苦しい時期を共に歩んできたこともあって、大変な盛り上がりだったと聞いています。

そんな、震災で傷つき新たにスタート。
そして、被災者と共に歩んできた取手競輪場。
今回の記念競輪が、大盛況で終わることを願っています。



e-SHINBUN賞争奪戦(FI)

西武園競輪FⅠ戦、今回は(10月30日~11月1日)ガールズ戦です。

今回のガールズ戦に参加する前に、一宮GⅢに行ってまいりました。
多分、最後の記念競輪になるであろう開催です。

優勝は長塚智広選手でしたが、
わたくしが優勝インタビュアーを務めさせていただきました。
いつかみたこの光景…

そう、わたくしこの一宮競輪場は、ドル箱でもありました。
記念もGⅠもFⅠも、たくさん優勝させてもらいました。
そして、たくさんこのお立ち台に立たせてもらいました。

ま、GⅠは一回だけですけど(笑)。

それ以外でも、永井清史選手の北京オリンピック、ケイリン銅メダルの凱旋第一戦でラインを組んで走ったこと、
選手紹介の段階で落車したこと…、
まぁ、年度の違いはあれ、以上はすべてオールスター競輪の開催でしたけど、
地元以上に思い入れの強い競輪場でした。

その競輪場が、最後の記念開催になるかもしれない。

ほんと複雑な気持ちで、毎日毎日イベントやスタジオで、しゃべりまくりました。
現役時代、どの選手もそうでしょうけど、
場内って、歩いたりする機会が、なかなかないんですよね。

だから、ファンの方と直接話したり、
触れ合ったりすることはあまりなかったのですが、
今回、この競輪場でいろんな方と触れ合ったりしました。

そこで感じたこと。
ここのファンの方たちは、ホント暖かい!

あるファンの方は、
私に、「これ、記念に持って行ってよ!」
と、手渡しされた品物は、2011年の名古屋ダービーのクオカードと、
一冊の大人の月刊誌(笑)。

まぁ、名古屋ダービーのクオカードは分かります。
優勝していないにしろ、準優勝ですから。
気になったのは、もう一つの大人の月刊誌のほうです。
私はてっきり、その雑誌に競輪の記事でも載っているのかな…
と思ってペラペラとめくっても、どこにも競輪のことなど載っていない。
載っているのは、大人の女性の赤裸々な姿と、ゴシップ記事ばかり。

そのファンの方に、思わず聞きました。
「この雑誌は、競輪か何か載っているのですか?」と。
するとその方は、

「いや、この本面白いから読んでよ」

と一言。
私は、思わず爆笑してしまいました。
記念でも何でもねーやん!
と突っ込みたくなりましたが、
そのセンスの良さというか、天然のボケなのか分かりませんが、
ツボにはまりました。
そしてスタジオまで持って帰り、じっくりと熟読させていただきました(笑)。

そんなこともあり~の、
優勝インタビューからの表彰式では、自分の過去の姿を思い出したりして、
感傷的になったりして、
それぞれの方たちが、いろんな想いを抱いてこの競輪場にいるのだな~

と感じた、笑いあり涙ありの一宮競輪場の一コマでした。



平安賞(GIII)

第56回オールスター競輪(京王閣競輪場)は、後閑信一の優勝で幕を閉じました。

最終バックでまくりあげ、新田祐大を2センターでロックオンし、追い込む姿は
後閑のGⅠタイトルへの執念を感じさせました。
4コーナーから、後閑の顔が映り込んでいましたが、
R18指定にしてもよかったかなと思います(笑)。

分かりやすく言いますと…
「悪ぃ子はいね~かぁ!」
と、なまはげに追いかけられる子供の心境かと。
それくらいの鬼気迫るものがありましたねぇ。
新田は、その子供の心境だったとおもいますよ(笑)。

そしてゴールと同時に、ものすごい大歓声。
まさしく地鳴りのような感じでした。
それに応えて、ガッツポーズを繰り返す後閑。
台風18号の影響で順延したりして、何かと場外で話題の多いオールスター競輪でしたが、
すべていい結果で幕を閉じました。
そう、記録より記憶に残るオールスターでした。

私が優勝インタビューを担当させていただいたのですが、
これも偶然に生まれた産物でした。

順延しなければ、私はBS日テレの中継がありましたからインタビューとなることはありませんでした。延びて中継がなくなり、たまたま依頼があったのです。
その時は、まさか自分が感動の涙を流すとは思ってもいませんでした。
全てが後閑の優勝に向けて、舞台は整っていったのです。

お立ち台で後閑を待ち、やっと彼が現れました。
その時、場内のお客さんの声援は物凄いものがありました。
そして、私の姿を見てガッチリと握手。
その手は、長い間苦労してきた万感の思いをのせたものでした。

「優勝おめでとうございます!」
と言う一言にも、今までの後閑の苦しい胸の内が分かっていただけに、
私自身もあふれる感動を、おさえられないでいました。

年が近いということもあり、自然といろんな話をするようになり、
競輪の話もするようになりました。
7年タイトルから遠ざかっていたうえ、骨折など苦しいこともたくさんあったと思います。
ですが、私にはいつも上を向いたことしか言いませんでした。
現役晩年は、彼のモチベーションの高さをも習ったりしました。

そんな思いもあり、インタビューをしているうち自然と涙が出てきました。
言葉に詰まる私のマイクを取って、フォローしようとしますが。
後閑も言葉が出てきません。
そこで、前代未聞の40を過ぎたおっさん2人が、涙をこらえてうつむくという異常事態が発生したのです(笑)。

これでグランプリ出場の切符を得たわけですが、
彼には、私の持つ43歳のグランプリ優勝の記録を更新して欲しいと思っています。
後閑に破られるのなら本望です。

彼の不屈の魂に敬意を表したいと思います。
おめでとう、後閑信一!



第56回オールスター競輪(GⅠ)

京王閣競輪場で開催されているオールスター競輪も、
台風の為1日順延し、明日(9月17日)決勝戦を向かえることになりました。

いやー、今回は荒れましたね~。
その中でも、決勝戦に勝ち上がった9名の選手には、
それぞれドラマが感じられて、見どころ満載の準決勝でした。

まず後閑信一。
彼ほど、ハングリーさに溢れた選手はいません。
7年前に、当時地元であったグリーンドーム前橋で、寛仁親王牌を制し、
今、東京の後閑信一として、再び輝こうとしています。

私が引退を考えていた昨年の秋の大垣記念での出走控室での出来事。
1番車であった、私の隣の2番車であった彼に、聞いた事を思い出します。
「なぁ後閑、いつまでも続く、そのハングリーさは、どっからくる?」
すると…
「なぁこうちゃん(彼は2歳年下にもかかわらず、私のことをこうちゃんと呼ぶ)、
俺はまだ体力的に衰えたと感じた事は一度もないんだ」
と言っていました。

私は、そのことは事実かもしれませんが、確信はついていないと感じました。
彼ほどの実績を残した選手が、タイトルを獲得した後、
長いスランプを経験しているわけです。
中には、屈辱的なこともあったことは、同じ現役であった私にも分かります。
私も現役時代の晩年は、彼の常に前向きである姿勢を見習っていた部分もありました。

そして、その大垣記念の言葉どおり、
追い込みから自力に再チェンジして再び輝き始めました。
しかし、その大垣での控え室の一コマのあとの立ち上がる瞬間、
「あいたたた…」
と、言った一言は見逃しませんでしたけど。笑

そしてe-SHINBUNメンバーでもある藤木裕の、準決勝の走りも見事でした。
初日のオリオン賞、藤木らしくない走りで、落車後の影響があるのかな、
と感じていましたが、果敢に打鍾から逃げて、4着とはタイヤ差の3着。

決勝シードには3着までの準決勝で、しかも今を時めく新田祐大を相手に
残り1周半を逃げようという勝負度胸には、私も感動さえ覚えました。
誰しも決勝戦には乗りたい。
しかしリスクを考えると、あそこから逃げて残れる保証はどこにもない。
それに打ち勝って、逃げてなお且つ決勝に勝ち上がったことは、称賛に値すると思います。
それは自力選手でも追込み選手でも同じこと。
リスクを考えてすくむ選手には、やはり勝利の女神はほほ笑まないでしょう。
しかも、その女神は必ず微笑むわけではないですから、
普段の積み重ねが大事だと思います。
準決勝が終わって引き上げてくる藤木の顔は、
さらに大きく見えました。笑

まだドラマを感じさせる選手はたくさんいますが、
それはまたの機会に紹介しようと思います。



寛仁親王牌・世界選手権記念(GⅠ)

さぁ、いよいよ寛仁親王牌(以下親王牌)がスタートいたしました。
3年連続となるこの開催、すっかり夏の風物詩と化した感があります。

弥彦と言えば、一昨年浅井康太に乗って、準優勝を決めたと同時に、
賞金での「KEIRINグランプリ2011」を決めた、思い出深い大会でもあります。

そんな中、今回イチ評論家として参加したわけですが、
やはり検車場の景色が、現役の時と全く違って映りました。
まず、あんなに嫌だった検車場のオイルの臭いが、全く嫌ではなくなったこと。
そして、何より嫌だった直前出走控室に何も感じなくなりました。
嬉しいことなのか、悲しいことなのか分かりませんが…。

そんな中、弥彦競輪場入りのタクシーが、浅井康太と一緒になりました。
そこで、いろいろな話をしましたが、
一番印象的だったのが、「もうそろそろグランプリの賞金争いが気になってくる」ってお話。

私も、この時期から賞金争いが気になるのは分かっていましたが、
浅井ほどの自力があって安定した成績を残していても、不安で仕方ないということです。
私はマーク選手だったので、運任せみたいな部分がありましたが、
浅井は、自分でレースを作れる選手。
しかも超一流。
意外でした。

浅井は、昨年の競輪グランプリ出場を、最後の最後の競輪祭での最終レースで決めたほどの、
言うなれば「逆境に強い選手」。
それほどの選手が、不安を覚えるということは、
その他の、今年タイトルを獲っていない超一流も、
不安を感じながら走っているということです。

世の中には、「あいつは持ってる才能が違うから…」という考え方をしがちです。
しかしそうではないということ。
傍から見て、才能に恵まれていると思っても、演じている本人、走っている選手達は不安いっぱいで走っているのです。
逆にいうと、不安を覚えない選手や人というのは、超一流にはなれないと思います。

そんな意味でも、親王牌の浅井には注目です。
この大会あたりから、そろそろ賞金争いの結果が見えてきます。
不安を感じながら選手は走っていると思いながらレースを見ると、精神力の強い選手が見えてくると思います。
そこで、しっかり勝負どころを逃さない選手が、グランプリ出場の切符を手に入れるのです。

これから後半が、実は選手を見極めるいい機会だと私は思います。

初日を終えて、今年のG1を制した選手以外で目立った選手というのは、
浅井、深谷は文句なし。新田祐大が初日のレースを終えて、走り方が変わらなければ、グランプリ出場の切符を得るのは近いと見ています。



三山王冠争奪戦(GⅢ)

さぁ、前橋記念が始まりました。

前橋と言えば、毎年G1を開催している印象で、G3というイメージがあまりありません。
しかし今年は、3年ぶりのG3開催らしいです。

前橋と言えば、こんな思い出があります。

もう10年以上前になりますかねぇ。
まだ寛仁親王牌が、前橋に固定だった頃の話です。

当時まだ、トップクラスバリバリだった愛知県の馬渕紀明選手(以下ノリ)が、2次予選で負けました。
その時のノリと言えば、まさしくG1制覇級。
G1決勝戦の常連といった感じでした。
今でいうなら、新田祐大クラスの強さだったと思います。

おじいちゃんかおばあちゃんがロシア人だと自称する彼は、中部地区の選手からも「セニョール馬渕」と異名をとっていました。ロシア人の血を引くという彼が、なぜ「セニョール」なのか、その時は疑問に思いませんでしたが(笑)。

そんなノリが、その年の平塚記念を優勝して、恒例のシャンパンファイトの時のことです。
謎のブラジリアンダンサーと、表彰台で踊り狂ってシャンパンを掛け合う姿は、ここが日本であることを忘れさせるほど、ノリノリであったことが思い出されます。
もうその時のノリの目は、もう白目を剥いていってしまっていました(笑)。
今年の平塚記念を優勝した、井上昌己選手のシャンパンファイトの数百倍ノリノリでした。

そして、その年の秋に迎えた大一番、寛仁親王牌でまさかの2次予選敗退。
その開催は、初日あたりからお腹の調子が悪く、トイレにこもりっきりでした。
そんな体調不良で、緊張の糸も切れたのもあって、「欠場する。もうお腹に力が入らない」と言って、選手管理室に入って行きました。

「お腹の調子が悪い」と言っても、目に見えるものでもないし、選手管理の課長は仮病の疑いを持って接していました。「帰る!」「帰らせない!」の押し問答が続いて、両者とも徐々にエキサイト。
最後は課長が
「そんなにお腹の具合が悪いのなら、ここでう○こしてみろ!」
と言っちゃいました(笑)。
そうすると、売り言葉に買い言葉。ノリも「あー、ここでしてやる。バケツ持ってこい!」
となったところで、周りの関係者が「まぁまぁ」となだめて終わったのですが、
見ているこっち側としては、大爆笑!
ノリは、こうして伝説の選手となったわけです。
できれば、おしりまで出して欲しいと思ったのは私だけではないはず(笑)。

この事件以来、グリーンドーム前橋に来るたびにノリを思い出すわけです。
今年は、前橋でどんなドラマが待っているのか、今から非常に楽しみです。
私も解説で頑張りますので、
みなさん、ぜひ前橋記念に注目してご覧下さいねー(^^)v



高松宮記念杯競輪(GⅠ)

今回は、亀田大毅のバンタム級ノンタイトル10回戦を見に行ってまいりました。
対戦相手は、メキシコのIBFユース王者のアーロン・ボバディージャ。
6回TKOで勝利を収めたわけですが、
今回、生まれて初めてボクシングを見に行った私は、
あまりの迫力、そして非情のドラマの連続に、胸が熱くなりました。

プロレスとはまた違った面白さが、そこにありました。
5列目あたりで、観戦したのですが、パンチが顔やらボディに入った音というのは、テレビでは絶対分からない、生々しい音でした。
明らかに、鼻骨が折れているであろうと思われても、試合を続行する姿は、
我々が見失っている、「ハングリー精神」みたいなものが感じられました。

そして、敗者に待っているのは、引退か現役続行の二者択一。
何となく現役を続けるという選択はありません。
そして、勝者のみスポットライトを浴びるという現実。
まだまだ競輪選手は、恵まれているなぁと思った瞬間でした。

中休みに、亀田興毅、和毅のトークショー。

そして最後は、恒例の大毅のリング上の歌でお開きとなりました。
そこで披露した歌はチューブの、「夏をまちきれなくて」(笑)。
なぜこの歌になったのかは不明ですが、とにかく熱唱していました。
「喉の調子が悪い」と言いつつ、2番まできっちり歌いきる姿勢に、
「嫌いじゃないやん!」と、突っ込みを入れたくなりましたが(笑)。

そして、高松宮記念杯です。
今回、村上義弘の顔つきは、前検日から険しいものでした。
体調不良からくるものと、近畿に「高松宮記念杯」が帰って来たことによる、責任感というのも、あると思います。
この、村上の責任感というか、競輪界を背負って立っているという自覚が、
お客さんに伝わって、支持を得ていると思います。
そして、その気迫や戦う姿勢が、後輩達に伝わり、こうやって近畿王国を築いたということを、その地区のベテラン選手は、考える必要があると思います。

父親の背中を見て子は育つ、と言いますが、近畿地区はまさしくその通りに、若い自力選手が育っています。
村上の為になら早駆けも辞さず…という姿勢が、今の村上を苦しめています。
若い自力選手を、捨てて出ていくことに抵抗を感じているからです。自分から、若い目を摘んでいるように感じていることもあるようです。

このように、自分の勝利だけを考える選手と、全体を考えて勝つ選手が、
ファンの心の掴み方が違うのは明白です。

村上の苦悩は、グランプリを優勝したからと言って、終わるものではありません。
勝っても負けてもファンの心を離さない村上という選手は、やはり今の競輪界に必要とされているのではないでしょうか。



前橋記念パンフレット(三山王冠争奪戦)

6月28日から7月1日まで4日間、前橋記念が始まる。
前橋記念と言えば、昨年オールスター競輪が行われて、そこで初めてドリームレースに乗った思い出の地である。
届きそうで届かなかったドリームレース。しかし、乗ってみると案外あっさりしたものだった(笑)。
そして、ドリームレースまで24年掛けてたどり着いた満足感は、忘れる事が出来ない。
しかし、私にはもっと忘れられない思い出がある。
昨年の11月、大垣記念を惨敗で終わった私は、もうすでに引退を覚悟していたのだが、前橋競輪のFⅠ戦、「e-shinbun杯」でトークショーを頼まれた。
もう引退を覚悟しながら、それを言えずに、ファンの方の前で話す心苦しさ。
しかも、特設ステージには、たくさんの人が集まっていただいた。
前橋のお客さんは暖かかった。この場を借りて、お礼を言わさせていただきます。
「24年間、ありがとうございました!」

そして、前橋記念である。
今回は地元から、木暮安由が参加する。
木暮といえば、変幻自在な攻めで、トップまで登りつめた。
しかし、怪我も重なり現在は壁にぶつかった感じだ。
そんな木暮が、昨年の前橋オールスターで決勝戦まで勝ち上がった。
しかも、武田豊樹の後ろ回りという、絶好のポジションをゲットした。
木暮にとっては、チャンスと思ったのだろう。
レースは、先行する、渡辺一成―山崎芳仁を、武田がまくる展開になった。
それを併せるようにバックから山崎が出て行くのだが、木暮は武田が行けないと判断して、内側に切り込んだ。
すると、接触して落車。武田も車体故障で山崎が優勝した。
医務室に運ばれてきた木暮を見舞いに、武田が現れるのだが、表情が険しい。
そして木暮にこう言った。
「俺を最後まで信じずに、内に切り込むなら後ろに付くな!まだ俺は、(自転車が)伸びていただろう。」
信頼関係で成り立っている現在のライン戦に、自分を信頼しきれていなかった木暮に苦言を呈した。
木暮も、痛む身体をこらえて、真剣に聞いている。
小さな声で「すいません…」と繰り返すのみだ。
その場にいた私は、隣にいた市田佳寿浩に「見た?カッコいいなぁ?」と2人で顔を見合わせた。
そして武田がいなくなるのを確認した木暮は、
「今のレース、どんな感じでした?僕、頭打って、全くレース覚えてないんです…」と蚊の鳴くような声。
私と市田が、ずっこけたのは言うまでもないだろう。
「木暮、いい話が台無しやんけ!」と心の中で呟いた(笑)。
しかし、武田の戦う背中を直で見た木暮は、何か感じたものがあっただろう。
覚えてないかも知れないが…(笑)。
ライン戦とは何か。競輪とは何なのか。
武田の背中を見て何かを感じた木暮が、この1年を経て、成長した姿を見せる時がやってきた。



第2回・開設64周年記念宇都宮ワンダーランドカップ(GⅢ)

さぁ、2回目となる「ヤマコーのやってやるって!」

今回は、宇都宮記念と言うことになりますわな(*^^)v
出場メンバーがこれまた豪華。
SS班からは、鉄人・武田(ルーテーズ)豊樹に、日本オリジナルの深谷(力道山)知広、スマートな浅井康太は、ドラゴン・藤波辰巳ってところか。
地元からは、神様・神山(カールゴッチ)雄一郎。そして、e-SHINBUNファミリーからは、白鯨・小野俊之が参戦する。

小野俊之と言えば、マツコデラックスと有吉弘行の「怒り新党」という番組の、「日本3大○○」のコーナーで、頭突き(ヘッドパンチ)が凄いって言う理由から、
そのVTRを流したところ、確かにあり得ないところから、頭が出てました(笑)。

僕も、俊之と何回か競ったことがあるが、
いや~、ほんとヘッドパンチが凄い。
どれくらい凄いか…。

簡単に言うと、目から火花が出る感じ。
実際、ヘルメット同士のぶつかり合いですから、火花が出る事はないんですが、
それくらい衝撃が凄いわけですわ(>_ <)

隣に並ばれると、これまた凄い威圧感。
ただでさえごつい体が、さらにでかくなったような感じ。
シロナガスクジラが、隣にいるような錯覚に陥るわけですな。
ま~、だけどこっちもやっぱりマーク選手でメシを食ってるわけですから、引けないわけですけど、実際ものすごい恐怖心との戦いなわけです。

競り合う時って、走る前にあいさつするものなんですが、
「幸二さん、よろしくお願いします」って来る時の感じは、頭の中で
「パララ~?、パララ~?」
って、鳴り響いてました。

で、普段の俊之は、決して威張る感じではないけれど、昔は結構やんちゃだったなって、感じがプンプン。検車場でもニコニコしているものの、目が笑ってない。
それがまた、ますます怖さが増すってこと、本人は気付いてるのかしら…。

そんな小野俊之が、直前の地元別府記念のあっせんがなかった。
それが、本人は相当悔しかったらしく、
別府記念開催中、朝早くバンクに赴いて練習していたらしい。
別府競輪を支えて来たのは、自分だ!って自負があるんだろうな。
その気持ち、よくわかります。
ですから、今回に懸ける意気込みっていうのは、並々ならぬものがあると思います。

こうゆうドラマのある選手っていうのは、私としても応援したくなります。
最近、ドラマのある選手が少なくなってきた中で、貴重な選手です。
ヒューマンスポーツを標ぼうする競輪界としては、
じつに分かりやすい選手でもあるわけです。

しばらく、小野俊之を追ってみようと思います(^.^)/~~~



第1回・第29回共同通信社杯(GⅡ)

さぁ、おまんたせいたしました!
わたくし山口幸二の出番がやってまいりました。

引退して、早5か月。
写真は載ってるけど、コラムも何も活動してねーじゃん。
ヤマコー言うだけ番長じゃね?(-。-)y-゜゜゜
…と言う声にお応えして、

「ヤマコーのやってやるって!」越中詩朗風に( *´艸`)

活動開始です!

ただいま、共同通信社杯2日目に書いております。
まず初日を振り返ると、目に付いたのは、
「プロレスの神様 カールゴッチ」改め
「競輪の神様 神山雄一郎」ですね~。


逃げる鈴木謙太郎の3番手にスイッチして、
2番手の菊池圭尚を、更に交わして1着ゴール!
私と同じ年の45歳でっせ。
深谷に千切れ、浅井を差せず、
おまけに最後は、うちの富ちゃんの愛弟子の松岡篤哉にまで恥をかかされ、
ボロボロで引退っすよ

ま、最後に競輪祭決勝戦に乗ったあたり、
類まれなる才能を、発揮したわけですけどね(笑)

で、神さんの話なんですけど、
前場所の函館FⅠ戦でも、ない位置から頭まで突っ込んできたり、
動きの良さが光ってましたけど、
捲りの3番手に飛びついて、1着まで突き抜けるって言うのは、
どれくらい難しいかと言うと、

天龍源一郎に、ジャーマンスープレックスを求めるくらい難しいんすよ。

まず、捲りに飛び付けるほど、余裕がなければ飛び付けない。
3番手に飛びつくぐらいですから、当然スピード差はありますわな。
そこで、飛び付くのにまず脚力がいる。
そして、3番手から突き抜けるくらいですから、
さらに、そこからスピードをあげなければいけない。
2段、3段と、短い距離で加速しなければならない。

まー、簡単に言い換えると、「絶倫追込み」ってとこだな(笑)

それを、45歳のおっさんがやるわけです。
だいたいイメージ湧いたでしょ?

45歳にして、ますます進化する神さん。
まさしく神様。カールゴッチだな。

そして今回、最大の収穫が…。
2日目のトークイベントに、
な、なんとガールズナンバー1の美貌を誇る、田中まいみんと、
中川誠一郎の妹、諒子ちゃんが登場しまして、
インタビュアーが、福井が誇るエンターテイナー「ワシコー」こと、
鷲田幸司!

いつ見るんですか?
今でしょ!

…って感じで見てきましたよ。
爆笑トークショーを期待して。

結果は…
大惨敗(笑)

中野浩一さんまで誘って、見に行ったんですけど、
「舞台と身内芸とは違うのよ」
とピシャリ。

爆笑したのは、福井支部長の渡辺航平と、わたしだけでした。
ワシコーは、
「いやぁ、プロの厳しさがわかりました。しばらく本職で頑張ります」
と一言。
お客さんの厳しい視線にさらされながらも、乗り切りました。

まいみんと諒子ちゃんは、
「非常にしゃべりやすかったです…」
と、ゲストにまで気を遣われ、そこがまた爆笑でした。
ワシコーに、春というのに秋風が吹いていたのは、言うまでもないわな。

…ってことで、不定期に連載することとなった、この
「やってやるって!」

また次回~(@^^)/~~~


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